京都王将
最近、餃子の王将が変わりつつある。学生時代を皮切りに王将の虜になり、サラリーマン時代を通じ、未だ熱烈なファンだ。ところが最近、東京の王将に変化が見られる。3点述べたい。
1点目、瓶ビールがなくなったこと。2点目、餃子を注文より多めに焼いておくこと。3点目、紹興酒がメニューからなくなったこと。
1点目は瓶ビールがなくなった。量の少ない生ビール、飲んだ気がしない、というより瓶ビールは餃子の妻、どちらが欠けてもダメ。親父のキリンビール大瓶を幼い時から見てきたオレとしてはブランドはともかく大瓶は譲れない。
2点目の餃子のまとめ焼きは最悪、焼きたてが出てくるか、干からびた油のまわったのが出てくるか、王将の品位にかかわる。京都と東京、定期的にどちらもいくが、両方都会だし、どうしてこんなに違うのか。多分、客のこだわりだろう。東京のような干からびた餃子を出したら、京都では客が黙っていない。東京はこんなもんかでスルーする、遠慮なのか、こだわりがないのか。
3点目の紹興酒は中華に欠かせない、メニューからなくなったが「紹興酒ある?」と定員に聞くと在庫ありますと返ってくる、言ってみるもんだ。なのになんでメニューから外すか。
因みに本家の京都は瓶ビール大、餃子は客に少し時間もらいますと断って注文後一枚でも丁寧に焼き始める。もちろん紹興酒も健在。東京のような生き馬の目を抜くやり方は競争からすると仕方ないが王将の強みがなくなる。強みを生かし余分なものを削る、どっかで習わなかったか。
でも、いいこともある、ジャストサイズだ。ビールを飲みながら少しずつ味わいたい時に最適だ。もう一つ、餃子のニンニクありとニンニクなし、これはなんとも言えんが選択肢としてアリだろう。食べたいが仕事に差し支える、女性対象、選択肢は多い方がいい。
ターゲットは二つ、サラリーマンと一人飲み、そして武器は餃子の味と活気だ。あったものがなくなるのは絶対反対、寂しい。
以上は王将と40年間付き合ってるオレの意見、たわいもないか。
結論、京都の王将は客中心、東京のそれは利益中心。時代の流れには逆らえないが、王将としての誇りは失ってほしくない。
そんなわけで昨晩、河原町店に行ってきた。ここは店長の気配りが客へも従業員へも素晴らしい、食べてて気持ちがいい、気に入っている。3ヶ月前に来た時の新米アルバイトが結構成長していた。学生に優しい京都、学生時代のアルバイトが懐かしい。
おしまい
2019.8.9
京都