川越で

今日は、川越で元同僚のA君とコロナ解禁、久々の昼飲みだ。折角なので、早めに来てウォーキングを兼ね街中を散策した。川越といえば小江戸界隈だが何度も来ているし、時間の関係もあり今回はパス。ネットでその他の人気スポットを検索していると、喜多院というお寺があった。

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神社仏閣には何故か惹きつけられる。元々興味があったわけでも、信仰心があつかったわけでも、日本史が好きだったわけでもない。その証拠に京都で学生時代を過ごした時は、お膝元は歴史の宝庫にもかかわらず、積極的に足を運ぶことはなかった。たまにいくとすれば、大学の授業の関係か、東京から知り合いが遊びに来た時ぐらいのものだ。

人生終末に差し掛かると、何やら信仰深くなるらしい。母親などは、生前、いつのまにか仏壇に向かって木魚を叩き始めた姿が目に浮かぶ。どうも、いきなり健康のためと始めるラジオ体操と信仰心の芽生えは同時期のようだ。死ぬまでは体操して元気で、死んだ後は仏様によろしくってところだろう。

子供の時から祠やお地蔵さんに柏手を打ったり、手を合わせたりして来た。そんな習慣が知らず知らずのうちに神様や仏様とオレの心が一体化して来たのかもしれない。なので、神社やお寺にお参りすると神聖な気持ちになるし、落ち着く。なんか神様仏様に抱かれているような気がする。それは、怖々しくもあり、清々しくもあり、暖かくもある。これが歳をとるにつれ、色濃く現れるのかも。

喜多院は、待ち合わせ場所のJR川越駅から徒歩20分程度、距離的にも時間的にも丁度いいので、早速向かった。

ここは元々天台宗のお寺だが、火事で消失した。その際、三代将軍家光が江戸城紅葉山の別殿(皇居の一部)を移設して再建を支えた。その別殿、ここでは客殿というが、家光誕生の部屋や春日局の化粧の間がありとても貴重だ。つまり、江戸城の一部を移設した後、江戸城そのものが焼失したので、一部とはいえ江戸城はここ喜多院に現存しているということになる。だから貴重なのだ。上皇陛下も訪れたこともあるそうだ。

その客殿に入館料400円で入った。境内は、紅葉山を模した奥庭を取り囲んでいる。紅葉の気配が感じられ、とても綺麗だ。

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まずは、本堂の阿弥陀如来に手を合わせ、家光誕生の間を拝見した。なんとも形容し難い気持ちに包まれた。あの三代将軍がここで生まれ、遊び、風呂に入って、排便をした、それらの一部始終をここの柱や桟は見ていたのだ。この傷、家光が付けたものかも。興味深かったのは、廁だ。アナウンスで廁の説明をしていたがそれを聴きながら想像する。周りにお付きの家来が何人か控える。一人が廁の下に待機してブツが落ちてくるのを待ち構える。する方もされる方も緊張するし気も使う。ブツならまだいいが液体だと困る、それも勢い余ったら尚更だ。そして落ちて来たやつをすぐさま医者が見て毎回健康状態を観察したらしい。将軍ともなると体の中まで監視の目だ、さぞ息苦しかろう。そんな当時の現実が目の前にある、なんとも沁みる。今までにも昔を模した似たような場所に来たことはあるが、当時の様子がこれほど身近に感じられたことはない、本物って凄い。

家光の乳母、春日局の化粧の間は四部屋もあった。やはりどれも春日局の一挙手一投足が手に取れるようだ。剥げ落ちた柱をさすっていると家光を将軍へと画策する春日局の後ろ姿が見えた、いやいやそんな気がした。

最後に、五百羅漢という538体の地蔵菩薩などを見て喜多院を後にし、急ぎ待ち合わせ場所のJR川越駅へ。A君とは1年ぶりだ、近況報告と昔話、さあトコトン呑むぞ!

おしまい

2021.11.4