親愛なる友の死

明け方の4時、酒の力を借りて寝たものの、いちど目が覚めたら眠れない。頭の中を走馬灯のように巡るのは安藤のことばかりだ。昨日の16日、安藤のお兄さんから電話があり、安藤が先日亡くなったとの知らせを受けた。

丁度、大宮の氷川神社周辺を散歩していた時に携帯がなった。着信画面に049の川越の市外局番が飛び込んできた。オレの兄が亡くなった時に岡山の警察から電話があった086、あの時と同じ嫌な予感だ。そして予感が的中した。生前安藤から、俺が死んだらお前の所に川越の兄貴から知らせてもらうようにしてあると言っていたからだ。瞬間立っていられなくなり歩道の脇にへたり込んだ。

安藤は元々心臓に持病を持っていて、それが悪さをしたらしい。8月1日に緊急入院して昏睡状態のまま、9月7日に息を引き取ったそうだ。昨日、葬儀が終り連絡をくれたとのこと。線香の一本でもと言ったが丁重にご辞退された。コロナ禍のこともあったのかもしれない。

実は、7月の半ば、飲みに行く約束をしていたが、オミクロン株の感染者が急増していたので少し様子を見ることにして、落ち着いたら安藤から電話がくることになっていた。ただ、8月12日がオレの誕生日で、毎年フェイスブックに投稿してくれていたのが今年は来なかった。おかしいなとは思っていたが、来月が安藤の誕生日なのでその時メールしようと安易に構えていた。その時連絡しても既に意識はなかったのでどうすることもできないが、とても悔やまれる。以前、安藤からのメールに気づかず連絡ができないでいた時、安藤から、なんかあったのかと思ったと、いきなり電話があった。そのことが頭をよぎり、安藤の優しさとオレの不甲斐なさがとてつもなく身に染み、そして落ち込んだ。

そんなことがあったが、ここのところオミクロンも減少傾向にあるので、安藤のメールを毎日楽しみに待っていた矢先の出来事だ。

安藤とは会社の同期入社で初めて会って以来、既に40年の付き合いだ。当時はバブルの頂点に向けまっしぐらで就職も売り手市場、我社にも、よくは覚えていないが、数十名入社してきたと思う。新入社員中、安藤とオレが最年長だったので何かと気が合った。今でも忘れられないのが、同期で初めて飲んだ時、他をよそに盛り上がりすぎて、二人だけ浮いた感じになった。安藤との付き合いがそこからスタートする。

二人が年長の理由は、安藤は二浪、オレは一浪一留で二人とも2年ダブっているからだ。更に予備校も一緒だ。当時、高田馬場駅のほど近い所に早稲田学院という予備校があり、安藤は2年、オレは1年通った。袖触り合ったことは何回かあったと思う。隣の立ち食い蕎麦屋で隣同士で食べたこともあるかもしれない。オレは毎日授業前に通い、安藤もよく行ったそうだ。かけ蕎麦を頼むと必ず天かすを入れてくれるおばちゃんのことを懐かしく話したりしたものだ。中でも話が盛り上がったのは、予備校の選択を間違えたということ。早稲田学院から数百メートルいった所に早稲田予備校だったか早稲田ゼミナールだったか他の予備校があり、早稲田学院とどちらにするか悩んだ。違いは、早稲田学院は大講堂で授業を受けるが、一方は少数精鋭の授業形態だ。オレは高校時代の友人と一緒だったので相談した結果、少数精鋭は厳しそうということで即刻安易な早稲田学院に決定した。聞くと安藤も同じだった。結果、3人とも早稲田不合格、異口同音、少数精鋭にしときゃよかった。何故か安藤は2年目も早稲田学院だ。

家庭環境も似ている。二人とも次男で二人兄弟。親の歳もほぼ同じで共働き。母親の働き先も同業種だ。食卓には糠漬けと冬場の白菜の漬物は欠かせない家庭でどちらも育った。

唯一違うのは親の教育方針だ。安藤は名門、港区立白金小から桐蔭学園なので立派な教育家庭だ。そもそも桐蔭を出ているので真面目にやれば現役でも受かるし、2年も浪人すれば可能性は無限大だ。よほど楽をしたのだろうと聞くと、さもありなん。

一方、我が家と言えばほったらかし。兄貴がダメだったので弟のオレも諦められていたと思う。中学の成績がさっぱりダメで、高校も行くところがなく、東京農大第一高校の二次試験にやっと引っかかった。最悪、中学浪人かとも思ったが、なんとか人並みに高校に行けた。なので母親は、大学受験の時、発表の一番早かった立教の経済を受かった時には泣いて喜んで、驚くことに勝手に返ってこない入学金を納めてしまったぐらいだ。まぐれで受かったので早くしないと逃げてしまうかの如く、トチ狂ったとしか言いようがない。これも親の愛情かとも思う。因みにもう一年浪人させてくれと頼んだが無理だった。

我々の会社年代は1981年から2016年までだ。経済的には、80年代のバブル期、その後90年代以降の失われた20年、そして失われた30年で定年となる。なので、初めの10年はそれなりの昇給はあったが、その後は泣かず飛ばすだ。幸い減給はなかったものの、給料を上げるには昇格しかない。結果、能力以外の要因が大きく左右することになる。下は上に対してイエスマンになり、上は下を好き嫌いで評する、そんなせちがらい時代かつ会社だ。当然、誰もがストレスとの戦いになる。その解消には何かがないとダメだ。解消の方法は千差万別、旅行、ゴルフ、酒、子供の寝顔、更にはコスプレなんか。オレの場合は安藤だったかもしれない。兎に角二人でよく飲み、よく議論し、よく遊んだ。永遠に封印しておく二人だけの秘密も幾つもある。安藤の存在がオレのストレス解消になったのは間違いない。おそらく安藤もそうだろうと、勝手に思っている。これから、そんな昔の話をツマミにいっぱい昼飲みしょうと思っていたのに、今回は本当にこたえた。立ち上がれそうにない。

退職後はお互い、親の見送りと家の整理に明け暮れる。オレは岡山の実家の問題、未だ解決せず。安藤は自由が丘の実家でお袋さんの面倒を見ていたが、お袋さんが施設に入ることになったため、長年住み慣れた我が家を整理して川越へ越してきた。その際、業者に頼んで住み慣れた実家の家財道具を一気に処分した。これには決断と苦痛が伴う。家族の思い出、育ってきた軌跡、家中に染みついた匂い、全て残しておきたいが、それが無理なのだ。なんで無理なのか、なんでオレらの代でこんなことになるのか、合点がいかない。2、3年前に売れた「サピエンス全史」や「オリジン.ストーリー」を読めばヒントがある気がする。いずれにせよ時代は、そっとはしておいてくれないということだ。

安藤とのことは、もっともっと書いて残しておきたいが、二人の秘密や安藤の気持ちもあるので、このくらいにしておきたい。

今、川越にいる。いてもたってもたまらず、安藤が住んでいたところや駅周辺を徘徊して、安藤とよく昼飲みした居酒屋で一人呑みしている。アイホンで安藤の写真を見ながら献杯だ。

帰りがけ、川越駅の改札を通り抜け、振り返るといつも安藤が手を振っている姿がない。途端に嗚咽、涙が止まらない。

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もう川越に来ることは無さそうだ。やっぱり安藤には自由が丘が似合う。

最後の川越、居酒屋大で

2022.9.17

嵯峨野、トロッコ列車

新幹線を名古屋駅ホームで一旦降り、きしめんを食した。十数年前、会社の行事で伊勢神宮に初詣に行った折、全ての行事が終わり名古屋駅で解散した後、一人で新幹線ホームで食べたきしめんは本当に美味かった。でも今回はイマイチ。汁はそれなりだが麺と、きしめんの命とも言える鰹節がなってない。中国人と思しき二人が切り盛りしていたが、なんか違う。食べ終わって「ご馳走様」と言って出たが反応なしだ。味もサービスも様変わりの感が否めない。伊勢神宮の時は仕事を終えたやった感で美味かったのかもしれない。間違いないのは、味覚は心と共にあるちゅうことか。

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大盛りを掻き込んで再度ひかりに飛び乗り目指す京都へ。

今回の京都は、五月晴れで気持ちがいいので、嵯峨野を廻ってトロッコ列車に乗ることにした。毎回の京都は新幹線の中で行先を決める、天候や気分で思いもかけないところに決まるので我ながら期待も膨らむ。トロッコは母が健在の頃、一緒に乗った黒部渓谷以来だ。

今日のルートはこうだ。京都駅から山陰本線で嵯峨野嵐山駅まで行き、隣接するトロッコ嵯峨駅から旧山陰線を走っているトロッコ列車に乗る。そしてトロッコ嵯峨駅トロッコ嵐山駅→トロッコ保津峡駅→終点トロッコ亀岡駅まで行き、折り返してトロッコ嵐山駅で下車する。約1時間弱の行程だ。そこから世界遺産天龍寺を囲むように竹林の中を歩き渡月橋までたどり着く。そしてバスでいつもの三条河原町へ。

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ロッコを待っている間、駅周りを散策していると「さざれ石」というのがあった。これ、君が代のさざれ石だそうだ。諸説の一つと理解しておきたい、日本全国、さざれ石はいっぱいありそうだ。

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ロッコは黒部に比べてはるかに大きい。保津川沿いに走るが三分の一がトンネルだ、8箇所もある。でもそのトンネル、120年の歴史があるそうでアーチ効果を発見した人間は本当にすごいと思う。

沿線の見所は保津川と紅葉、一度は泊まってみたい星野リゾートといったところ。このトロッコ、席は全車指定。ボックス席で前に座ったのは就学前の男の子と父親だ、オレにもそんな時があったっけと父親に自分を重ねる。トロッコは旧山陰線を走っているが今の山陰本線とほぼ並走している。

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山陰本線といえば学生時代に読んだ「20歳の原点」の作者、高野悦子が飛び込んで自殺したのもこの辺だったはずだ。60年代末期学生運動が盛んな折、自分と向き合った葛藤が記された学生の手記だ。旅は思いもよらずそんなことを思い出させてくれるのでやめられない。

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トロッコ嵐山駅を下車し竹林を抜け渡月橋まで20分ほど歩く、なんと人の多いことか。日曜日ということもあるがコロナどこ吹く風だ。人力車を引っ張っている若者、それに乗っている和服姿のアベック、そして修学旅行を満喫している中学生、ここのところ見ることのなかった風景が戻ってきた。しかしコロナの水際対策で未だ外国の人は少ない。

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バスで嵐山から三条河原町に向かう。何とか座れたと思いきや爆睡してしまった。最近歳のせいか夜中によく目が覚め寝れなくなる。しょうがないので本を読むが更に目が冴える。すると諦めムードでビール片手に朝まで本を読む。これを3日続けるとさすがに4日目は朝まで一気に熟睡だ。なので4日目で帳尻があうという訳だ。注意点は朝方寝落ちしても決められた時刻に起床すること、それが肝心。これをしないと4日間のルーティンが崩れる。

現役時代も眠れないことはあった。客のクレーム対応や社内の不祥事処理のための精神的理由による。夜中の3時にクレーマーに電話で起こされたり、明日のトップ説明の半端ないプレッシャー、さすがに寝れない。目の前のことに精一杯で、働いていることが会社のためか自分のためかわからなくなる。その繰り返しだ。

長年務めた会社から距離を置くことで気付かされることがある。自分のことを社会的、客観的にみれていなかったということだ。人生の半分のサラリーマン生活、終わってみてよくわかる。適当に働いて、適当に我慢して、適当に金をもらって、適当に遊んで、適当に生活する。時々嬉しかったり、時々羨ましかったり、時々落ち込んだりもする。世界観だったり人生観といったものが見当たらない。全ての考えが外ではなくうちに向かう。丸山眞男のいうタコツボから出られないまま35年を生きてきたということだ。つまり思想というものがない。

でも今、遅ればせながらそのタコツボに非常に興味がある。それを解き明かすのがこのブログかも。

明日からは気の重い日々が続く、一気呵成にやらなければならない大きな仕事が待っている。半年が勝負だ。

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王将のカウンター、満卓だよ!

2022.5.22

京都、三条河原町

京都、岡崎辺り

今回の京都は、岡崎周辺を巡った。岡崎の北西に位置する東山丸太町近くにシャルキュトリーといってハム、ソーセージを専門に扱う妻の知り合いの店に用があったので、その近場の岡崎になった。岡崎といえば、平安神宮、公園、動物園、そして美術館など年齢を問わず見どころ満載だ。南禅寺哲学の道も入るのかも知れない。まずは、平安神宮にお参りして五つほどお願いをした。本来は仏様にお願いすべきことも含まれるが、神仏習合とかなんとか、至って都合がいい。

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次は南に下って京都市京セラ美術館だ。実は京都駅でこの美術館のポスターを見た。なんと中国、秦の始皇帝兵馬俑が展示されているという。こんな機会はない、何はともあれ一見にしかずで来た。京都市京セラ美術館は元々あった京都市美術館と京セラとがタイアップして数年前にリスタートした美術館。なので、京都市美術館の荘厳さと京セラの近代化が相待っているような壮大な建物、なんといっても新しいのが新鮮だ。

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京セラは京都府が誇る売上高ランキングNo. 1企業でかの稲盛和夫氏が率いていた。その稲盛和夫氏が影響を受けた人物に陽明学者の安岡正篤氏がいる。この先生、稲盛氏に限らず名のある企業のトップが師事した、戦前戦後を通じた政財界の指南役。東洋思想の観点から人生論を唱えるいってみれば人間学の大家だ。著書も多数出ていて、正確には覚えていないがこんなのが印象に残っている。親が小さな子供に食べ物を与える。すると子供は自ら食べた後、その残りを親の口に持っていき、さもお母ちゃん(勿論お父ちゃんでもいい)も食べてなんて仕草をする。実体験上、なるほどと思う。元々人間は優しさに包まれて生まれてくるものだ、そんな人生訓だ。人が生きる上で本来持っているものを思い出させてくれる、生身の教科書である。我がサラリーマン人生においてもその著書には幾度となく救われた。中には手垢で汚れ切ったものもある。詳細は今後に譲るとして、人間、一生のうち藁をも縋ることがいくつもある。そんな時に助けられたのは何冊かの本だ。よく新宿ションベン横丁の鳥羽口で焼き鳥片手に読んで、さあ明日もやるかなんて一人気合を入れた。それから忘れてはならないのが妻の一言、これも文句なし。

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兵馬俑の俑は八千体もあるそうだが、現在はまだ1800ぐらいしか掘り出されていないそうだ。まだまだこれからで始皇帝本人まで辿り着けていない。ということはこれからどんなお宝が出土するか楽しみだ。正に歴史はロマンを掻き立てる。そもそも「俑」とは始皇帝と共に墓に埋められた埴輪のようなもの。それ以前にもあったが全然小さいらしく、ここの俑は等身大でそれも一体一体部下の容姿を忠実に再現している。この技術は現在でも再現できない特殊なものらしい。でも、個人的には始皇帝のイメージは焚書坑儒のようにあまり良くない。独裁者のイメージだ。どこそこの大統領に通じるものがある。観終わった感想だが、この展示会、残念ながらなんか物足りなかった。既に出土している1800体が蒼然と並んでいるところを想像していたので、迫力に欠けた。もっともそんなものがここにもってこれるはずは無いのに。

この界隈を歩くといつも思うが、京都らしくない。平安神宮にしても美術館にしても、敷地をふんだんに使っているので、見通しが良すぎて落ち着かない。やはり京都は路地がいい、町屋がいい、木の匂いがいい。

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まだ陽は高いが、王将、天下一品、いつものルートへ。天下一品の名物、大盛り辛子ニンニクが恋しいぞ。

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2022.4.19
いつもの京都にて

京都洛北界隈

半年ぶりの京都。コロナもここに来てやっと人間と同居してもいいくらい、奴らも疲れてきたか。お陰でこちらも、何度目かの解放感、というわけでいつもの京都を味わっている。今回は洛北、叡電沿線だ。まず、御所北東の鴨川沿いの出町柳駅から叡電こと京福電鉄で約30分、終点の鞍馬駅一つ手前の貴船口駅を目指す。源義経が若かりし日々を過ごした鞍馬山の西側に位置する貴船界隈だ。川床料理で夏場の涼を売りにしている。ここは学生時代叡電沿線に住んでいながら一度も訪れたことがなかったので以前から気になっていた。

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この電車、途中宝ヶ池というところで鞍馬行きと比叡山口駅行きに分岐するが、宝ヶ池より一つ鞍馬寄りに八幡前という駅がある。実はそこに学生時代を通してお世話になった下宿が駅そばに存在している。下宿といっても2階を間借りしていて、風呂は大家さん家族の後にいただける、賄い付きとはいかないがでもとても居心地が良かった。そのため4年のはずが5年間も長居してしまった。おかみさんはとても優しく、旦那さんは強面だ。そんな下宿生活で未だに赤面する場面が思わず頭をよぎる。2階に部屋が四つあり、同じ大学の同級生がそれぞれ陣取っていた。全員文系だが、何と学部は全部違う。ある時、オレだけおかみさんに呼ばれて、娘の勉強を見てくれないかとのこと。つまり、4人いる中のオレに白羽の矢が立ったというわけ、娘さんの希望だそうだ。そんなわけで多少の優越感とともに二つ返事で引き受けた。多分、英語だろうと踏んだが何と忘れもしない集合の問題だった。小学校でなんか習ったようなそうでないような。結果は敵前逃亡寸前、ごめんなさいだ。情けないやら、カッコ悪いやら。それ以来、お声はかからなかった。

話はそれたが、貴船口駅に下車すると、駅から貴船神社まで清流沿いを右手に見ながら40分ほどなだらかな坂道を登る。夏場にはその清流の上に床を置き料理を提供する。今の時期は川床はないが、食事を提供している店はいくつもある。どの店も京都らしく趣きがありまたの機会に来てみたい。

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左には貴船神社総本宮、結社、奥宮の順に標高が高くなる。折角なので奥宮までお参りをしたが結構きつい。ここは平安時代歌人和泉式部が仲の悪かった夫に悩み、貴船神社にお参りしたところ寄りを戻したという言い伝えがある。そのため恋を取り持つ神様と言われるようになったそうだ。どおりで老若男女、手を繋いだカップルが多い。和泉式部といえば、清少納言紫式部のかげに隠れがちだが、そんなことはない、日本を代表する女流歌人だ。和泉式部で唯一知っている詩の歌碑があり感動した。「物思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂(たま)かとぞ見る」、恐ろしく情熱的で勝気な人だったらしい。因みに貴船神社は水の神様を祀っている。

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帰りに八幡山駅で下車し、下宿の周りを散策した。勝手口に回ったら靴が二足あったので下宿業はまだやってるようだ。ひょこりおかみさんが出てきそうな、なんとも学生時代となんら変わらない気持ちにさせられる。それに比べ下宿周辺は様変わりしている。隣の馴染みのうどん屋は居酒屋へ、モーニングが旨かった喫茶店は美容院に、2日に一回は通ったラーメン屋は跡形も無くなった。そりゃそうだ、あれから40年だ。

その後、八幡山から隣の宝ヶ池、次の修学院へと白川通を歩いた。白川通といえば高校駅伝、毎年観戦するが半分はカメラに映る京の街並みを見ているようなものだ。その街並みに一瞬、毎回必ず選手をバックに映るところがある。宝ヶ池の高架沿いのマンションだ。本当は、今回貴船選んだのは、帰りにここに立ち寄りたかったからだ。このマンションにオレの小学校の同級生が一時住んでいたことがある。その友達は、オレが学生の頃に突然電話がかかってきて、これから板前の修行に京都に行くのでどこか店を紹介してほしいといってきた。あまりに突然で、更には小学校卒業以来会ってなかったのでびっくりだ。

彼は小学校3年生の時にたまたま隣の席になって急速に親しくなった友人だ。当時、岡山から上京したてで周りから岡山弁を茶化され閉口した学校生活を送っていたが、彼はそんなオレに気を遣ってくれてか或いは馬があったのか、以来学校がとても楽しくなった。彼が滅法喧嘩が強かったこともあり、いつも一緒にいるとオレに対するみんなの態度もやたら変わっていき友達も断然増えた。現金なものだ。でも、お陰で子供ながら始めて社会の扉が開けた瞬間だったと思う。なので、オレには欠かせない恩人だ。

当時、オレのバイト先が飲み屋だったので、そのオーナーに頼んで知り合いの割烹料理屋に彼を紹介してもらった。そして住んだところがこのマンションというわけだ。そこでよく飲み明かしたものだ。おれが卒業して以来、連絡が途絶えていたので、あまりの懐かしさに来てみたくなった。案の定、この辺も様変わりし記憶も薄れているのでマンションを特定することすら出来なかった。なんか建て替えたようにも見える。「松ちゃん、久しぶり」なんて声がどこからともなく聞こえてくる、無性に会いたいと思った。

今回も王将と天下一品で締めくくりだ。

 

2022.3.28

京都 洛北

 

 

摩訶不思議

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いつも岡山の家から浦和に戻る時、我がワゴンRのバッテリーが上がらなように必ずブースターケーブルを外して帰る。一ヶ月前にも岡山を発つ時、ボンネットを開け、ブースターケーブルを外し、そしてボンネットをちゃんと閉め、最後に車の鍵をかけて万全を期して帰った。

そして一ヶ月後の今回、岡山へ。着いたら早速、車を使うため、ブースターケーブルを繋げようとしてボンネットを開けた。目が点、なんと、ボンネットの隅に柿が入っているではないか。それも今、柿の木から取ったような新鮮な柿だ。とても一ヶ月前のものとは思えない。

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なんで鍵のかかったボンネットの中にあるのか。誰かの悪戯か、嫌がらせか、神がかりか、頭が交錯し恐怖さえ感じた。浅知恵で考えることといえば、留守の間に悪意あるものが家に入り、車の鍵を使って開け、わざわざ柿を置いて車の鍵までかけたのか。そうだとすると、愉快犯としか言いようがない、でも何のために。絶対、あり得ない。或いは、オレ自身が置いてそれを全く記憶してないケース、いや、流石にこれもないだろう。それとも、兄貴が3回忌を前にあの世から現れオレを驚かそうとしたのか、まるで推理小説の密室だ。

原因は必ずある。だが、それがわからないことが不安なのだ。そんな寒気を背中に感じながらも、ボーとしてもいられない。やることはやらなければならない。そのために高い交通費を払い帰ってきたのだ。家の換気、掃除、庭木の剪定、草刈り、草焼き、墓守、食材の購入、風呂の掃除、忙しくしているうちに、いつの間にやら記憶も薄れていく。というより忘れようとしていたのかも知れない。

三週間ほどで用事を済ませ、また浦和へ。その際も一連のルーチンは忘れずに行った。今度開ける時はと不安に思いながら。

それから数週間たち、先日テレビを見ていたら、驚いた。オレが見た光景と全く同じ場面が写っていたのだ。そう、ボンネットの中の柿。思い出したように湧いてくる不安を紛らわしながら見ていると、同じようなことが全国各地で起こっているらしい。それは、NHKの「ダーウィンが来た」という番組を見ていた時のことだ。同じような投書が全国から寄せられており、次回特集を組むそうだ。それでも、見た限りから想像した。ボカシの入った動物が写っていたので、何かの動物が冬場の食糧確保のためどこからか柿を取ってきて、保存のためにボンネットを選んだようだ。よく、エゾリスなんかが冬場の準備にドングリの身を落ち葉の中に隠すのと同じだ。でも、ボンネットに入るにしても下からしか無理だ。ワゴンRの下からボンネット内に入ることなんてできるのだろうか。そしてどんな動物なのか。

この辺りは動物には事欠かない。イタチ、テン、ハクビシン、タヌキ、アナグマ、何でもござれ。熊出没のニュースをよく見るが、この辺も以前にも増してイノシシを始め動物の被害が増えているような気がする。やはり環境破壊の影響か、でも、熊は勘弁だ、この辺にもツキノワグマがいるらしい。

そういえば、ボンネットに入っていた柿を近場の階段に置いておいたが、翌日、一部をかじられており、次の日はタネだけになっていた。その時も動物の仕業なんてかけらも思っていない。

いずれにしても、これはオレの想像に過ぎないが、如何に。次回の「ダーウィンが来た」楽しみだ。

つづく

2012.11.16

新宿で

 

 

 

 

 

 

大宮、鉄道博物館

大宮の鉄道博物館に行ってきた。初めてだ。京都にもあるが、そちらは兄が健在の時に、岡山から思い立ったように二人で軽自動車をかっ飛ばして行ったことがある。今となってはそれが兄との最後の旅行になってしまった。ここの博物館、高崎線上越新幹線に挟まれた鰻の寝所状の細長い場所にある。相当な面積だ。建物も4階建てで延べ面積も凄い。受付近くでは懐かしい「日の出号」が迎えてくれる。感激、修学旅行が懐かしい。

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結構賑わっている。小学校低学年以下の子供が多く、観光バスで来ている団体も目立つ。鉄道マニアらしき年配のおじさんもチラホラ、目が輝いている。メインは1階エントランスから直ぐのところ、懐かしい車両でいっぱいだ。室内を少し暗くし、照明の効果を利用している。なので寝台列車はとても見栄えがいい。

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弁慶号から始まって、役割を終えた列車、電車、機動車が目の前に聳えている、迫力だ。列車や電車はいつもホームから見ているが、下から見上げると圧倒される。よくこんなものを作ったって感じだ。見覚えのある車両を見ていると、その時々の思い出が走馬灯のように蘇る。

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鉄道には小さい頃からワクワクさせられてきた。我が家にはオレが小学生の頃からいつも最新版の時刻表が常備されていた、毎月父が買って来ていたので。その影響か、兄がじきに鉄道マニアになり自ずとオレも。鉄ちゃんほどではないが、なんか理由なく惹きつけられるものがある。

オレが小学生に上がると同時に、家族で岡山から上京した。その後、毎年、夏休み、場合により冬休みも、岡山の母の実家に兄と二人で里帰りした。夏休みは1ヶ月間、岡山の田舎で従兄弟二人と生活を共にする。両親は共働きだったので、手間要らずで送り込んだのだろう。でも、岡山へ帰る1ヶ月前から汽車に乗れるのでありがたや、興奮気味だ。何故なら、特急の指定席は乗車1ヶ月前から売り出しだったので、席が取れるかどうか、既に旅は始まっている。今と違って、景気の良さから指定席券は即刻完売。懐かしき日のゴルフ場の予約と同じだ。こんなことの繰り返しで鉄道にハマっていったらしい。

岡山との行き来は勿論、国鉄、今はJRだ。小学校3年生の時、1964年に新幹線が東京から新大阪まで開通した。

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それまでは、東海道本線山陽本線を乗り継いで津山線、又は姫路から姫新線周りのどちらかだ。始めて上京した時は特急「つばめ号」いわゆるこだま型の肌色の電車だ。ここでは「とき号」「ひばり号」として展示してある。

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津山線は当時、C11の蒸気機関車だった。窓を閉めるの忘れて煤だらけになったっけ、冬場はラッセル車なんかも走っていた。

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新幹線で新大阪まで行き、新大阪から岡山までは、在来線の新大阪始発の特急か急行だ。特急は「はと号」「しおじ号」この二つもこだま型。

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急行は「鷲羽号」これは今も走っている緑と橙色の湘南電車、でも、客席は全てボックス。窓開けっぱなしで岡山まで、ガタンゴトン、レールの繋ぎ目の音を聞きながら3時間。

その後、新幹線が岡山まで伸張したので、在来線の楽しみはなくなった。でも、それはそれで楽しくもある。新幹線ははじめ、ビュッフェが付いていた。それがある時、食堂車に変わったのだ。それから兄と二人で帰る時は、指定席を買っているにも関わらず、初めから食堂車に陣取り、姫路辺りまで飲み続ける。指定席がなく、自由席でも座れない人達が食堂車に集まってくるのでいつも混んでいた。窓側に二人で陣取り4時間位飲みっぱなし、動く洒落た居酒屋だ。今でも思い出す、冬場、酔いが回った頃、岐阜羽島駅を通過し、関ヶ原の真ん中に差し掛かる。関ヶ原東海道新幹線で唯一雪深いところだ。なので、酒飲みながらの雪景色は最高です。飲み鉄冥利に尽きる。

その後、一通り館内を巡ったが、オレは車両達の展示で十分満足。

帰りに懐かしさのあまり、本屋に寄って、1964年の新幹線開通前9月号と開通後10月号の復刻版時刻表を買ってしまった。見るだけで当時が蘇る、もっと早く買えばよかった。

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おしまい
2021.11.8

 

川越で

今日は、川越で元同僚のA君とコロナ解禁、久々の昼飲みだ。折角なので、早めに来てウォーキングを兼ね街中を散策した。川越といえば小江戸界隈だが何度も来ているし、時間の関係もあり今回はパス。ネットでその他の人気スポットを検索していると、喜多院というお寺があった。

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神社仏閣には何故か惹きつけられる。元々興味があったわけでも、信仰心があつかったわけでも、日本史が好きだったわけでもない。その証拠に京都で学生時代を過ごした時は、お膝元は歴史の宝庫にもかかわらず、積極的に足を運ぶことはなかった。たまにいくとすれば、大学の授業の関係か、東京から知り合いが遊びに来た時ぐらいのものだ。

人生終末に差し掛かると、何やら信仰深くなるらしい。母親などは、生前、いつのまにか仏壇に向かって木魚を叩き始めた姿が目に浮かぶ。どうも、いきなり健康のためと始めるラジオ体操と信仰心の芽生えは同時期のようだ。死ぬまでは体操して元気で、死んだ後は仏様によろしくってところだろう。

子供の時から祠やお地蔵さんに柏手を打ったり、手を合わせたりして来た。そんな習慣が知らず知らずのうちに神様や仏様とオレの心が一体化して来たのかもしれない。なので、神社やお寺にお参りすると神聖な気持ちになるし、落ち着く。なんか神様仏様に抱かれているような気がする。それは、怖々しくもあり、清々しくもあり、暖かくもある。これが歳をとるにつれ、色濃く現れるのかも。

喜多院は、待ち合わせ場所のJR川越駅から徒歩20分程度、距離的にも時間的にも丁度いいので、早速向かった。

ここは元々天台宗のお寺だが、火事で消失した。その際、三代将軍家光が江戸城紅葉山の別殿(皇居の一部)を移設して再建を支えた。その別殿、ここでは客殿というが、家光誕生の部屋や春日局の化粧の間がありとても貴重だ。つまり、江戸城の一部を移設した後、江戸城そのものが焼失したので、一部とはいえ江戸城はここ喜多院に現存しているということになる。だから貴重なのだ。上皇陛下も訪れたこともあるそうだ。

その客殿に入館料400円で入った。境内は、紅葉山を模した奥庭を取り囲んでいる。紅葉の気配が感じられ、とても綺麗だ。

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まずは、本堂の阿弥陀如来に手を合わせ、家光誕生の間を拝見した。なんとも形容し難い気持ちに包まれた。あの三代将軍がここで生まれ、遊び、風呂に入って、排便をした、それらの一部始終をここの柱や桟は見ていたのだ。この傷、家光が付けたものかも。興味深かったのは、廁だ。アナウンスで廁の説明をしていたがそれを聴きながら想像する。周りにお付きの家来が何人か控える。一人が廁の下に待機してブツが落ちてくるのを待ち構える。する方もされる方も緊張するし気も使う。ブツならまだいいが液体だと困る、それも勢い余ったら尚更だ。そして落ちて来たやつをすぐさま医者が見て毎回健康状態を観察したらしい。将軍ともなると体の中まで監視の目だ、さぞ息苦しかろう。そんな当時の現実が目の前にある、なんとも沁みる。今までにも昔を模した似たような場所に来たことはあるが、当時の様子がこれほど身近に感じられたことはない、本物って凄い。

家光の乳母、春日局の化粧の間は四部屋もあった。やはりどれも春日局の一挙手一投足が手に取れるようだ。剥げ落ちた柱をさすっていると家光を将軍へと画策する春日局の後ろ姿が見えた、いやいやそんな気がした。

最後に、五百羅漢という538体の地蔵菩薩などを見て喜多院を後にし、急ぎ待ち合わせ場所のJR川越駅へ。A君とは1年ぶりだ、近況報告と昔話、さあトコトン呑むぞ!

おしまい

2021.11.4