森田童子が亡くなった。

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森田童子が死んじゃった。オレの学生時代をセピア色に染めてくれる心の友だ。

オレが社会人になった2年後に活動を休止したことも懐かしい気持ちに拍車をかける。

その後、テレビの主題歌でつかわれたことがあるが、オレの感情とは程遠い。

心に残るとは、社会、時代、場所、年齢そして人、環境に大きく影響される。二度と訪れない多感な時代に感じたことは、そのまま心の奥底にしまい、たまに引っ張り出しては昔に浸る、とっても幸せな瞬間だ。

齢とともに色んなことを忘れて行く中で、墓場まで持っていく心の要石はいくつもない。そのうちの一つが森田童子の歌だ、ありがとう。

 

 

京都、嵯峨野にいってきた。

京都、懐かしのスナック「ヒスイ」へ行く前に五木寛之の百寺巡礼の百寺のひとつ嵯峨野二尊院に行ってきた。

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百人一首小倉あんで有名な小倉山にある、読んで字のごとく本尊が「阿弥陀如来」「釈迦如来」の二つの珍しい山寺だ。仏教で極楽浄土へ行くのに現世から送ってくれるのが釈迦如来で彼岸へ迎えてくれるのが阿弥陀如来、大変有難い仏様たちだ。

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法然上人由来の院で教科書なんかでお馴染みの御影がある。

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それから紅葉でも有名。

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本堂の縁側に座って庭を眺めると何とも落ち着く、半袖ポロシャツ、晴れ。

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近くに世界遺産天龍寺があるが修学旅行生とインバウンドで人の山、マイナーなお寺がいい。

先にも触れたが、小倉山は定家が百人一首を選んだと言われているところ。この間、生まれて初めて百人一首田辺聖子の解説を読んだ。知っていたのはわずかで我ながら教養のなさに落ち込む。親のせいにするわけではないが、家に百人一首のカルタがあるとか、本があるとか、そういう環境って大切だ。子供が生まれたらそんな家庭を築きたいと思っていたが遅かりし、孫の代には必ず、その時はAIの出番か。和歌は日本人の心、そういえば、オレの下宿の便所に大家さんが短冊を貼っていた「急ぐとも心静かに中へ小便、吉野の花も散るぞ見苦し」。

帰りに今話題の「竹林の小径」を通って帰った。上を見上げるととても綺麗だ、

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でも下を見ると、

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これが現実、何も言えねえ!

2018.5.20
京都、嵯峨野

37年ぶりに先輩にあった。

京都の学生時代お世話になった先輩に37年ぶりにあった。先輩といっても同じ大学の先輩ではない。当時の大学生の下宿なんてものはどこの大学だかわからないやつが入り乱れていてさながら10軒長屋20軒長屋の感だ。木造アパートの四畳半に自然と人が集まってくる、酒盛りが始まる、話は吉本隆明埴谷雄高岡林信康成田闘争。必然的に友達の友達、またその友達の友達が友達だったりする。先輩も知り合いの知り合いの知り合いで5歳年上の6回生、オレの周りはそんな人が何故か多かった、ひとり遅れてきた青年。

37年ぶりとなるとさすがに先輩も別人、でも懐かしい話に花が咲くと段々とタイムスリップして学生に戻った。大変頭のいい人で芥川賞を目指した本の虫、下宿は寝るところに困るほど本だらけ、さながら古本屋、でもオレにとっては知の巣窟ってとこかな。文学書だったか、哲学書だったか分厚い本からおもむろに一万円札を取り出してよく飲みに連れて行ってもらったものだ。

当時先輩とよく行っていたスナックがある、出町柳から叡電でひとつ目、元田中から徒歩3分、「ヒスイ」っていうスナック。さすがにもう無くなっていたと思っていたが、ところが今回ネットで検索したらヒットした、あまりの懐かしさから行ってみた。

「ヒスイ」は住宅街にポツンと目立たなく存在する、想い出の詰まった店だ。

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開店前に無理やり入れてもらった。マスターは先輩のことをよく覚えていて、というより元々先輩の店、オレのことも段々と思い出してくれた。ママはあまり元気がなかった、食事、化粧の開店前ルーチンをオレが壊したからかもしれない。マスターが言っていたが、最近のお客は何十年ぶりが多くなっているそうだ。現にオレがいた時も40年ぶりという人が来て一曲歌って帰った。ジェームディーンのポスターが人生の半分程の時の流れを感じさせる。

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先輩は京都に10年いたそうだ。大学にもよるが休学制度を使うと12年在学できるそうだが、大学より京都に魅せられた一人だろう、人のことは言えぬ。京都には魔物が住んでいる、というより学生に優しすぎる。学生時代を京都で過ごしたオレらにとってその優しさが京都を離れられない理由かも。

その後、先輩は実家の農業を継がれて、今、米とネギを作っている。何と、30年前に酒を辞めたそうだ、一緒に飲みたかった。でもタバコは健在だ、吉本淳之介ばりの吸い方、カッコいい。時代に勝ったか、負けたか、それとも流されたか、今となってはそんなのどうでもいい、オレの大切な先輩であることに変わりはない。

2018.5.20
京都

 

新宿の美術館で、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンそしてターナー。

超有名な画家の作品がこんなに身近に見れるとは。新宿の東郷青児記念・損保ジャパン日本興亜美術館、新宿高層ビル群の42階にある、天空の美術館だ。セザンヌゴッホゴーギャン、ポスト印象派の三巨匠の作品が一幅ずつ常設展示してある。でも、見るには企画展とセット、ここのシステムらしい。

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今やっている企画展は、イギリスの画家、ターナー。イギリスは絵画後進国といわれていたがターナーは西洋風景画の巨匠だろう。時は、主観的、感情的な表現を重んじるロマン主義の時代、近代の始まりだ。

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ターナーのコンセプトは「崇高」、と言ってもよく分からない。自然への敬虔な気持ちを感情表現することだそうだ。何十幅もの絵画を見たが初めはうまい、繊細、綺麗の連発だが、段々どれも同じに見えてきた、自然と足が早まる。でも、オレみたいな美術初心者には風景画は単純に綺麗だと思う、この感情が大切。

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ターナーを見尽くした後、最後のブースにお目当ての三幅、すごい迫力。こんな感じ!

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壁に向かって左からリンゴ、ヒマワリ、アリスカンが描かれている、セザンヌゴッホゴーギャンの順。アリスカンって何だ、古代ローマの遺跡。一番心が動いたのはやはりセザンヌのリンゴだ、歴史を変えた絵画。

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それまでの絵画の世界で常識とされてきた遠近法などの画法に挑んだ革命的作品、この作品が無ければピカソの「あっち向いてホイ」は生まれていない。ピカソのは右を向いた顔、左を向いた顔、後ろから見た顔がひとつ絵に混在しているがセザンヌのリンゴも一つひとつが違った表情で別々に描いたものを貼り付けたような感じだ。「人には人の乳酸菌」と同じで顔もリンゴも各々が主張している。人の数だけ意見がある、人と意見がぶつかって落ち込んだりした時はセザンヌを見よう。先人からの暖かいメッセージだ。

ターナーは「私は今から無に還る」って言って76歳で亡くなったそうだ。死後の世界はわからないがこの言葉はカッコいい、でも、お袋のはもっとカッチョいい、「わたしゃもう死んどる」。

2018.4.26
新宿

「これ絶対面白い」という本に出会った。

本屋でブラブラしていると、「これ絶対面白い」という本に出会うときがある。そんな本に出会った。

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通称バッタ博士と言われている前野ウルド浩太郎氏という昆虫学者の「バッタを倒しにアフリカへ」という本で2018年度の新書大賞を取っている。

著者は学者として進路を決めるときに大いに悩む。アフリカ西部のモーリタニアという国でサバクトビバッタというイナゴに似たバッタが大量発生して農作物を食い散らし大飢饉を招くことが問題化していた。その時、真のバッタ研究者になるには現場に行き戦いを挑むか、日本での安定をとるかの選択を強いられる。

人生には勝負する時がある、今がその時だ、と決断し片道切符を手にアフリカンドリームに夢をかけるというノンフィクションだ。

研究者としての大成、同時にアフリカの救済のために日々バッタと向き合い苦難と戦い挫折しかける、しかし周りの取り巻きが放っておかない。著者の人となりが周りの協力を呼び、結果目的が叶う、というか半分叶うと言ったほうがいいか。

著者の人柄を伝えるエピソードが書かれている。砂漠の深夜2時、宿営地の仲間は寝静まっている。一つでも多くの発見をするため単身バッタを求め夜の砂漠へ。2キロほど歩いたところで痛恨の一撃、サソリに刺される。誰も頼れず段々痛みが増す足を引きずりながら、宿営地へ。

サソリの知識は皆無、死をも覚悟しやっとのことで宿営地にたどり着いた。でも、皆を起こして大騒ぎになったらどうしょうと遠慮して朝まで耐える。朝皆からなんで起こさなかったんだ、と怒られる。そんな著者の本人が言う「シャイな性格」が人を寄せ付ける。オレなら大騒ぎだ、そこが違う。

この物語は、夢への執念、著者の人柄、仲間の思いやり、この3つだろう。歯切れのいい文章で、勇気が貰える一冊だ。

おわり

2018.4.12
さいたま

 

 

人工知能AI時代を受けて

ここのところ人工知能AIに関する話題が豊富だ。将来、いや現在をどう生きるか、AIを頭に入れておくかどうかで格段の差、文系、理系を問わず。恐らく普段耳にするマスコミの単なる情報として聞き流していると思うけど、ちょっと待った。AIはイギリスの産業革命、ウインドウズ95のパソコン、インターネットの情報革命などと同類の社会構造を根底から変える大きな変革だ。日々のルーチンに追われて乗り遅れると後悔する、なので知識ゼロから3冊、本を読んでみた。

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1.「人工知能と経済の未来(2016.7.井上智洋著)」
2.「日本再興戦略(2018.1.落合陽一著)」

3.「教養としてのテクノロジー(2018.3.伊藤穰一他著)」の3冊。

どれも書店に平積みにしてあるとても売れている本だ。

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1.の井上氏はAIが経済に及ぼす波及効果を歴史的観点から述べている。機械学習ディープラーニングなどAI用語もわかりやすく解説されているので入門書としてもいい本だ。また、AIと聞くと我々が最も関心を寄せるAIに代替される仕事は何かについて職業を単純化して「肉体労働」「事務労働」「頭脳労働」に分けて理解しやすく予測している、事務→肉体→頭脳の順に取って代わる。結果、今までの資本家と労働者の関係がこわれ、つまり労働者はAIに取って変られていなくなり資本家の勝利に終わる。資本主義の崩壊、マルクスも複雑。じゃあどうするか、ベーシックインカムという仕組みがご推薦と結論付ける。これは生活保護の進化版とも言えるもので、どうせAIやロボットに仕事を奪われ生活保護を受けることになるのであれば、最初から最低限の生活費を個人を対象に支給した方が効率が良いという制度、共産主義に近いと思うがちょっと違うらしい。井上氏の専門はマクロ経済、話をわかりやすくしているのでオレみたいな短絡的人間にはちょうどいい、初めに読む一冊!

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3.の伊藤氏は本の題名にもなっている「テクノロジー」つまりAI、VR、5G、ブロックチェーンなどが引き起こす具体的現象を述べている。特にブロックチェーン(分散化、脱中心)というセキュリティ確保のためのAIは理解しておきたい。要は情報を一箇所に集中させず複数のコンピュータで共有することでセキュリティの確保を図るもの。この技術を使った仮想通貨の話が面白い。仮想通貨には話題のビットコインをはじめとするいろんな通貨があるが、特定のコミュニティのあるところにはそのコミュニティ独自の通貨が存在し得るということ。例えばゲームの世界、太陽電池、マグロ、果てはマクドナルドという具合にその通貨を持っていれば法定通貨よりアドバンテージがある。簡単に言うとマグロの漁獲を目的としたコミュニティだけの通貨が存在し、その通貨でマグロが買いやすくなるということだと思う。マクドナルドも面白い、ビッグマックの食いっぱぐれがなくなる。それから自動運転の倫理の問題を取り上げていた。自動運転車に乗っていて物陰から人が飛び出て来た時、ハンドルが自動的に切られて崖から落ちるか、それとも轢いてしまうか「トロッコ問題」。そのほかにも興味深い話が色々書かれている。大事なのはこの変革期にそれぞれがきちんとした視点を持つことを説いている、そのためのヒントが満載だ、深掘りの一冊!

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最後に2.の落合氏のはオレも思っていたことが多々あってとても納得感があった。この本を手に取った時はこんなにマスコミにもてはやされている人だとは思っていなかったけど言っていることは鋭い。でもミレニアム世代に対し我賞めの年配には中々読みづらい、孔子の「後世恐るべし」の感覚で読むべし。そもそもこの本はAIというよりAIがもたらす激変の時代に日本人の意識を変え失った日本を再興させようとするものだ。明治時代は欧州から昭和は米国から取り入れてきた近代という時代、失った日本人をどうやって取り戻すか。それは仏教や儒教の東洋思想なのか、はたまた1300年に渡る天皇中心とする統治構造なのか興味は尽きない。心に残った言葉、「最近の日本人はイノベーションという言葉を掲げるばかりで、日本の文化や社会制度の理解が浅いため単純に西洋を真似する極端な方向に触れてしまっている。大事なのは日本の土台にある文化や社会制度をしっかり理解した上で、日本人が得意な中道、バランス感覚のあるイノベーションのあり方を考えること」「直接自分で貢献できるような、小さめなコミュニティのレベルでものを考えることが大切」どれも心に染みるいい言葉だ。それを実現するにはAIというテクノロジーが欠かせない、絶対読むべき一冊!

 

この3冊は教えてくれる、落合氏も言っているように劇場型の教育を受け、角砂糖の角を揃えたように均されたオレのような受動的なサラリーマンは、先人の残した絵画、文学、歴史、宗教から自分の立ちを明確にし、そしてできるところから行動を起こす、これがAI時代を生き抜く唯一の方法だ、まだ遅くない、ニーチェの末人から超人へ!

 

最後にAIには決してわからないこと「じいちゃんと畚を仕掛けて、翌朝あげた時のワクワク感、コイか、フナか、カニか、トウチカか、凄い鰻だ!」

おわり
2018.4.6
岡山

山口、瑠璃光寺に行ってきました。

これだけ京都に行っていて西の京都に行かない手はない、ということで山口に行ってきた。目的は瑠璃光寺五重塔だ。日本三名塔のひとつで、あと二つは法隆寺醍醐寺瑠璃光寺曹洞宗、なので道元永平寺大本山。こじんまりしている中に檜色の五重塔が際立っていた。桜と相まって山の端に溶け込んでいる。

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今までにない趣を感じるのは屋根が檜皮葺のせいか、なんとなく柔らかい、女性的。今まで数ある塔、堂宇を見てきたが大概、凛とした、厳かなというような形容だがここのは優しい、とても美しい。

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五重塔大内氏が建てた。北朝足利義満に反乱を起こして破れた兄(義弘)を弔うために弟(盛見)が建立したもの。山口といえば毛利だが室町時代大内氏、9代目弘世が京都を模して町づくりをし大内文化を隆盛させた。東北奥州藤原氏の平泉に似ている。共通しているのは後世の人達がその文化をハード、ソフトと共に大事にしていること、逆にいえば大内氏が民に尽くしていたということか。文化と政治は切っても切れないがリーダーの存在はでかい。

 

それから忘れてはならないのは、ここは明治の傑人を輩出した県だ。そういえば大学時代の麻雀仲間に山口出身の奴が結構いたっけ。仲間意識が強く、ことあるごとに長州を誇っていた。若干鼻についたが今思えば地元意識は重要だ。日本は北から南まで気候、言葉、食、つまり肌感覚、方言、ご当地グルメなんか都道府県で様々だ。そういう国は中央集権ではなく地方分権がいい。駅前がシャター街になっているところもあれば大きなビルが立ち並ぶところもある、何を優先するかそれぞれ違う。政治も地方分権が騒がれているが遅々として具体化していない。地元の政治、行政はもっと足元を見て地域共有の価値を高めることが第一義、そこから全てがスタートにしてゴール。歴史も言っている、例えば江戸時代、「巨人の肩の上に立つ」!

 

帰りの一ノ坂川という川の桜並木が綺麗すぎ、桜もそうだが川の流れに心を奪われた。小川のせせらぎ、岸の草花、そして桜吹雪、三拍子揃った、最後に気になる魚は居るかしら。

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日本三大名塔、残るは醍醐寺、楽しみだ。

おわり

2018.4.1
エイプリルフールの山口、下関