君たちの日本国憲法

「君たちの日本国憲法」を読んだ。池上彰氏が桐蔭学園の高校生と議論した講義録だ。さすが池上彰、こりゃすごい。憲法については、最近改正が取りざたされているので書店にも色んな本が並んでいる。新しく書き下ろしたものや以前売れなかったのをここぞとばかりあたかも発刊かのように積んである。そんな中、まずはこの一冊を。

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憲法をわからなくしているのは解釈論だろう。9条にみるようにイデオロギーや立場の違いで真逆の判断だ。そして最もわかりにくくしているのが学者諸氏のいわゆる学説。読んでいる時はへー、成る程なんてわかったような気になるが、次を読んだら見解が分かれ混乱する。なぜ混乱するか、自分の意見を持っていないから、なので、先ずはちゃんと知ることから。

そんな方々に最適な一冊だ。この学説は右だの、あの学者は左だの、といった本はよくある。憲法が拘束しているのは国、行政側、その下にいろいろな法律が我々を規制している。これがわかっていないと始まらない。こんな観点から憲法の歴史を読み解き、更には最近の話題まで取り上げ、とてもわかったような気にさせてくれる。というより、考えるヒントを与えてくれると言ったほうが良い。

あとがきで一つの命題が与えられる、「平成が戦争のない時代でいられた理由を考えることは意味深いことだ。アメリカのおかげか、安保か、9条か」、高校生に限らず全ての日本人が今考えよう。そして自分の考えを持ち意見を言い共有して行くこと、これが重要。

因みに、敬愛する小室直樹先生の「日本人のための憲法原論」は必読書。日本国憲法は死んでいるから始まり、憲法と密接に関係する民主主義と資本主義に踏み込んで鋭く説かれている。若い時に読んで頭に叩き込むべき傑作。

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いずれにしても、国民投票にかかわらず自分の考えはまとめておきたい。次の世代のためにも!

おしまい

2019.3.19

浦和

 

富士屋本店解体シーン

渋谷の桜丘一帯が再開発で消滅している。そんな中、富士屋解体の無残な姿があった。昨日のNHKクローズアップ現代だ。

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桜丘一帯は奇跡的に戦災を免れ、昔ながらの五右衛門風呂のある旧家が軒を連ねていた。賑やかなハチ公側と国道246を挟んで反対側に位置し家賃も比較的格安だったため、今をときめくIT企業がいくつも育っていったらしい。

古いものを壊して新しいものを作る。供給し需要を喚起し利ざやを抜いて会社が発展する。経済学的には需要が先、なんてどちらでもいい。要は全ては資本主義のなせる技。企業は対前年比永遠増に向けて突っ走る、一時も休まない、でもそれを支えている人は生身の人間。日本人はいつも曖昧、よく言えば中庸。特性は、押し付けられると従う、かといって不満があっても声を立てない、我慢する、人がいい。気がつくとそれが当たり前になって我慢できないのは自分のせいなんてなことになる。

そんなサラリーマン、ホッとできる空間、逃げ場が欲しい。生産性アップにしのぎを削る会社、でも一番大切なこと、わかってないんじゃない!

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おしゃれな街、機能的な街、若者が集う街、芸術の街は魅力溢れる。でも場末の心安らぐ赤提灯はもっと大切だ。オレも新宿のしょんべん横丁にどれだけ助けられたか、実体験だよ!

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桜丘は、中島みゆきの「時代」、長渕剛の「乾杯」を生み出したそうだ。人それぞれ思い入れがあるだろう。オレにとっても思い出いっぱいの桜丘だ。この感慨、どうしてくれる!

2019.3.15
浦和

深大寺

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今日は天気が良く暖かいので昔住んでいた調布市のつつじヶ丘に足を延ばした。目的は深大寺の仏像と駅前のラーメン屋。

深大寺神代植物公園とセット、ダルマ市、深大寺蕎麦が有名だが、さらに有名になったのが安置されている「白鳳仏」だ。一昨年国宝に指定されてからテレビでも取り上げられるようになった。もっともそれ以前も知る人ぞ知るで名を馳せていたのかもしれない。

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仏像が有名になった理由はもう一つある、「倚像(いぞう)」といってなんと椅子に腰掛けている菩薩様だ、白鳳時代の仏像表現らしい。本物は思ったより小さく可愛らしい、なんとも穏やかなお顔だ。

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法隆寺や新薬師寺の仏像と同じ工法らしく白鳳三像ともいう。

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子供の頃、友達とダルマ市でだるまを買ったり、楽焼したり、蕎麦食べたけど仏像を知ったのはごく最近、年齢とともに感心も変わる。

界隈は昔の感じよりこじんまりとしていた。なんとも思い出は大きく感じるものか。

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饅頭、ぬれ煎餅が売れてる中、茶店でビールでもと思ったが、ラーメン屋まで我慢。30分足らずでバスでつつじヶ丘駅へ。

駅前に「見聞録」というラーメン屋がある。開業以来、店主に懇意にしてもらっている、ラーメンもゆっくりすすらせてもらえない程話好きだ。長年、客から得る情報は半端ない、色んな仕事に携わる人たちからの生の情報だ。なのでオレにとっての悩み事解消の一翼だ、とても参考になる。この店に行く理由、ラーメンの味半分、店主の味半分かな。

味は、かのホープ軒出身らしいが味は似て非なるものって感じ、チャーシュー盛り、目ん玉(オレが勝手にメニュー化、メンマと味玉をツマミで)、最後に南蛮麺ガオーだ。初めて食べた時はこんなラーメンあんの?、なんて思ったが、いつもの如く3日通ったら病みつきだ、以来33年通っている。

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店主の相棒は何人も変わったが今はご夫婦でやっている。店主と相棒、使うものと使われるもの、経営者と社員、上司と部下、王様と奴隷、どちらがいいか。そりゃ奴隷より王様だろう、そうでもないぞ。奴隷は使われる身、毎日与えられたことを黙々とこなせば食うには困らない。動物のように獲物をとるでもなく、自ら考え行動することもない。考えてみればこんな楽チンはないかも、慣れれば極楽だ。それに加え王様は大変だ。政治が悪いといつ寝首をかかれるかわかったものではない。経営者も競争に負けると仕事がなくなる。いつも戦々恐々だ。サラリーマン人生は間違いなく前者、でも、その人生、本当にこれでよかったのか、悩みどこだ。時代のせいにはしたくないが、劇場型の教育、横並び、回答は一つ、みんなで赤信号を渡ってきたわけだ。今まであまり疑問にも思わなかったが、戦後教育、憲法、宗教、そして日本人とは、なんて考えながら本なんか読むと、なあーにも知らず、どれほどボーっと生きてきたか我ながら情けない。知らずにいるのも幸せか、でも知ってしまうと無性に腹が立つ。何にかって、全てだ。

それにしても、店主は今まで何杯のラーメンを作ったんだろう、ラーメンを作り続け40年もの間、店を守り家族を守ったのは事実だ。オレも就職して子供を育て定年を迎えた。どちらも同じに見えるが全然違う。店主は自分で味も変えられ、麺の太さも変え、時には客も選んできた。多分、オレより納得のいく人生、間違いない!  もう一つ確かなことがある、全ては平成とともにあったことだ。

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おしまい
2019.3.9
京王線つつじヶ丘駅周辺

 

もつ焼き最高!

自宅から自転車圏内にこんな店があったとは、感動!

北浦和「丸新」というもつ焼き屋。開発された街に囲まれた昭和の郷愁を誘う通りがある、と言っても100メートルもない。そこの一画にある20人ほど入れる重要文化財

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壁の品書き、木の短冊が歴史を感じさせる。メニューは定番のもつと若干のおつまみ。なんとお新香に浅漬けと古漬けがある、こんな店今ないだろう。古漬けを頼んだ、キュウリとカブ、絶品!  生姜のすりおろしが添えてあるのはこの店ならでは、とても合う。

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この店、なんで知ったかって、ネットで検索していたら瓶ビールが大瓶550円、これで決まりだ。新宿のションベン横丁ですら今は650円、インバウンドの影響がまだ北浦和に及んでいないらしい、及ばなくていい。

焼き物は、タン、レバー、シロ、コブクロ、本当にうまい。大きさも小ぶりでオレ好み。よくバカでかい串を出す店があるけど、それで満腹になって他が味わえない。大きいことはいいことだ、そんな時代は終わった。高度成長、大量生産、皆んな横並びの時代だ。生活は豊かになったけどなんかを置き忘れてきたような時代。

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働いている人もとても気が利いて気持ちがいい。ママが常連の人と話していた、ランドセルの時代からの付き合いだそうだ。多分先代を継いで何十年、注文が入ると「首、長くして待っててね」なんて言う。伯がつくとはこういう女性をいうのか、男顔負け、大尊敬。アルバイトらしき若者が働いている、低姿勢で返事がいい、今時珍しい。

気がつくと満員。

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酒飲みは皆んな一緒だ。行きたいけど残業で行けない人、女房の尻に惹かれて我慢している奴、一人で飲みに行けない寂しがりや、そんな人を待ってる店、それが北浦和、丸新だ。

でも、散々呑んで食べた挙句、家に帰って奥さんの準備しているご飯をもう一つの胃袋にかき込む、これが一番!

「丸新」の感想、仕事が丁寧、心あり。

おあいそ!久々の算盤!

おしまい

2019.2.20
北浦和

ニムロッド

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芥川賞受賞作「ニムロッド」を読んだ。面白かった。会社から仮想通貨のマイニングを任された会社員と 、鬱になった同僚そして証券会社のエリートである恋人が交錯しながらそれぞれの「存在」を繰り広げていく。

作者の意図がどうあれ、この小説の根底に流れているのは資本主義の行き詰まり感だろう。作中にも二度ほど資本主義という言葉が出てくる。永遠と対前年利益増を死守するため人は懸命に働いてきた。結果、生活も一定の水準まで達し、科学技術も進歩しあらゆる利便性を享受している。でも、そこには多くの犠牲を伴ったことも事実だ。環境、家族、友達、そして心。自分のやってきたことに疑問符がつく、更にAIという未知の波。

目の前のことで精一杯、それをクリアすることで満足感を覚え、生活のために懸命に働く、そして気がつくとなんのために生きてきたか実感が湧かなくなる、そう、手段の目的化だ。つまり人間が自ら作った仕組みに慣らされ、慣らされていることにすら気づかない。そのことをわからないまま死ぬ奴、気がついていても流される奴、なんとかしょうともがく奴、色々な人生がある。

仮想通貨にしても証券会社にしても人が作ったシステムだ。これらは全てAIが絡む。24時間人間の作ったデータが一人歩きする、一瞬の出来事で価格は暴騰し、逆に暴落すれば無に等しい。ビットコインでも証券でもなんでも同じ、それで浮き沈みする。

この小説で感じたもの、資本主義の最後、ポスト資本主義、そして資本主義の恐怖だ。

同じ文藝春秋に掲載されている養老孟司氏の「AI無脳論」の中に「一度、お金と労力を投資してシステム化してしまうと、慣性が大きくなってしまい後戻りはできない」と書いている。資本主義の名の下、正に人間が人間のシステムに慣らされ人間で無くなる。「そんなことわかってんジャン」なんて思っているが、ドッコイわかっていながら具体的対策を施さない、これぞ日本人のニヒリズム(片山杜秀「平成精神史」)、先延ばしだ。オレの人生、多分に心当たりアリ。

先の養老孟司先生が言っていた。AIに勝つためにはどうするか、芸術に勤しむこととヤバくなったらコンセントを抜くこと。

なんだ、簡単だ!

おしまい

 

2019.2.12
浦和

東瀬戸内海一周、大塚国際美術館

岡山で妻側親族が一堂に会する新年会があったので、その足で徳島の大塚国際美術館に行ってきた。以前から機会があったら一度観ておきたかったところの一つだ。

久しぶりにワゴンRでドライブ。経路は、東瀬戸内海を一周。岡山→瀬戸大橋→高松→鳴門(美術館)→大鳴門橋→淡路島→明石大橋→神戸→姫路→赤穂→津山で約500キロ。

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妻と美術館を鑑賞後、妻を新神戸におくり届け2号線を下り赤穂から斜めに山を越える。夜間のこともあり民家なし、対向車なし、いささか心細かったが鹿に二度ほど勇気付けられた。それでも2時間半ほどで到着、麓のローソンの灯りがなんとも温かい。

大塚国際美術館はオロナミンの大塚グループが1998年に文化財記録保存のために設立した、言ってみれば西洋絵画のレプリカ美術館、バブル期メセナの一環だろう。約1000点の名画を特殊な技術を使ってオリジナル作品と同じ大きさで陶板に再現したもの、つまり焼き物。

この美術館のユニークさには驚きだ。美術館自体が山に埋もれている。

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正面玄関の地上1階がB4階にあたり、山の頂上が2Fに相当する。展示もB3が古代と中世→B2ルネサンスバロック→B1がバロックと近代→1Fと2Fが現代、西洋絵画の通史を勉強できる仕掛けだ。

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それから戦災で焼けたゴッホの「芦屋のヒマワリ」なんかもあり世界的にも注目されている

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ただし全部を観るには時間がかかりすぎる、始めの古代、中世に時間をかけすぎ、観たかった印象派ぐらいから足がふらつき始める。でも一番の来てよかった感は迫力だろう。オリジナル作品と同じ大きさなので空を見上げるような大きな作品もあり今まで経験したことのない圧倒的感動だ。

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特に受付後はじめに目にするシスティーナ大聖堂にあるミケランジェロの「最期の審判」は圧巻、バチカンに来て観ているようだ。

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持論だが絵画はそれに触れれば触れるほど自分なりの納得感が培われると思う。この美術館の近くに宿を取り、数日間かけて西洋絵画にどっぷり浸かるともっと見えてくるものがありそうだ。こんなふうに思うのもここ数年、事あるごとに絵画を観てきたからだろう。こう思えるようになると面白い、さらに興味が湧いてくる。

それにしても大鳴門橋から見る鳴門海峡は絶景だ、なんか海の青さが濃く、それと大鳴門橋の白とのコントラストがとてもいい、オススメだ。

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おしまい

2019.1.11
徳島

フェルメール展

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先日、妻と上野の森美術館で開催中のフェルメール展を観てきた。生涯で40点ほどしか描いていない画家でその希少価値からか凄まじい人気だ。入館料も倍、日本人は商売が上手い、というか足元を見るのが上手。その内の10点が展示されている。当時はバロック全盛でカラバッジョレンブラントなど光と闇自体がモチーフ化されていた時代、そんな中でフェルメールはとても優しく光を捉えている。もちろん他の画家の作品も展示してある、フェルメールと同じオランダの画家が多い。

フェルメールで最も有名な作品は「真珠の耳飾りの少女」、今回展示されていないがその代わりに「牛乳を注ぐ女」が何故か脚光を浴びている。

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看板絵でもあることから宣伝で何回も目にしてきたので必然と愛着が湧いてきたかも。今まで気持ちが動かされる作品ではなかったが今回はとてもいい絵だと感じた。

話は違うが、経験上どんなラーメンでも3日食べるとやめられない。味覚、聴覚、視覚、具体的にはラーメン、音楽、フェルメール、繰り返すとみんな中毒症状を起こす。人間の感覚は慣れることを知っている、慣れると心地いい、病みつきになる、やめられない、ビジネスのヒントになる、こんなことを思った。

上野の森美術館は初めてだったが展示場が非常に狭い、それに入場を時間制限するほど人気だ。中はごった返し、中々前でゆっくり見られない。それにフェルメールの絵自体が小さく目が悪い者からするとメガネを上げ下げしとても疲れる。

絵画を鑑賞する理由はそれぞれだ。勉強のために観る、記念で観ておきたい、デートのお誘い、話のネタとして観たい、文化人の私なら当然、オレはコンプレックスだ。

理由はなんでもいいが、絵画と言うものは見る側の心に落ち着きや余裕があった方がいい。超有名画家の作品を通勤電車の如く混雑した状況で観ても感動はない。いってみればあまり人気のない日本のどこか場末の美術館でゆったりと鑑賞した方がみる絵にかかわらず味わい深く感じるだろう。例えば、美しい森の中で一幅の絵を一人で観賞する、そんな場面を想像したら、どんな絵でも感動だ。

因みに上野の森美術館から徒歩5分でフェルメールの絵が常設展で一幅だが観ることができる。国立西洋美術館にある「聖プラクセディス」だ。

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安く、ゆったり観れるよ、とてもいい絵だ。

おしまい

2018.11.3
上野