嵯峨野、トロッコ列車

新幹線を名古屋駅ホームで一旦降り、きしめんを食した。十数年前、会社の行事で伊勢神宮に初詣に行った折、全ての行事が終わり名古屋駅で解散した後、一人で新幹線ホームで食べたきしめんは本当に美味かった。でも今回はイマイチ。汁はそれなりだが麺と、きしめんの命とも言える鰹節がなってない。中国人と思しき二人が切り盛りしていたが、なんか違う。食べ終わって「ご馳走様」と言って出たが反応なしだ。味もサービスも様変わりの感が否めない。伊勢神宮の時は仕事を終えたやった感で美味かったのかもしれない。間違いないのは、味覚は心と共にあるちゅうことか。

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大盛りを掻き込んで再度ひかりに飛び乗り目指す京都へ。

今回の京都は、五月晴れで気持ちがいいので、嵯峨野を廻ってトロッコ列車に乗ることにした。毎回の京都は新幹線の中で行先を決める、天候や気分で思いもかけないところに決まるので我ながら期待も膨らむ。トロッコは母が健在の頃、一緒に乗った黒部渓谷以来だ。

今日のルートはこうだ。京都駅から山陰本線で嵯峨野嵐山駅まで行き、隣接するトロッコ嵯峨駅から旧山陰線を走っているトロッコ列車に乗る。そしてトロッコ嵯峨駅トロッコ嵐山駅→トロッコ保津峡駅→終点トロッコ亀岡駅まで行き、折り返してトロッコ嵐山駅で下車する。約1時間弱の行程だ。そこから世界遺産天龍寺を囲むように竹林の中を歩き渡月橋までたどり着く。そしてバスでいつもの三条河原町へ。

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ロッコを待っている間、駅周りを散策していると「さざれ石」というのがあった。これ、君が代のさざれ石だそうだ。諸説の一つと理解しておきたい、日本全国、さざれ石はいっぱいありそうだ。

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ロッコは黒部に比べてはるかに大きい。保津川沿いに走るが三分の一がトンネルだ、8箇所もある。でもそのトンネル、120年の歴史があるそうでアーチ効果を発見した人間は本当にすごいと思う。

沿線の見所は保津川と紅葉、一度は泊まってみたい星野リゾートといったところ。このトロッコ、席は全車指定。ボックス席で前に座ったのは就学前の男の子と父親だ、オレにもそんな時があったっけと父親に自分を重ねる。トロッコは旧山陰線を走っているが今の山陰本線とほぼ並走している。

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山陰本線といえば学生時代に読んだ「20歳の原点」の作者、高野悦子が飛び込んで自殺したのもこの辺だったはずだ。60年代末期学生運動が盛んな折、自分と向き合った葛藤が記された学生の手記だ。旅は思いもよらずそんなことを思い出させてくれるのでやめられない。

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トロッコ嵐山駅を下車し竹林を抜け渡月橋まで20分ほど歩く、なんと人の多いことか。日曜日ということもあるがコロナどこ吹く風だ。人力車を引っ張っている若者、それに乗っている和服姿のアベック、そして修学旅行を満喫している中学生、ここのところ見ることのなかった風景が戻ってきた。しかしコロナの水際対策で未だ外国の人は少ない。

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バスで嵐山から三条河原町に向かう。何とか座れたと思いきや爆睡してしまった。最近歳のせいか夜中によく目が覚め寝れなくなる。しょうがないので本を読むが更に目が冴える。すると諦めムードでビール片手に朝まで本を読む。これを3日続けるとさすがに4日目は朝まで一気に熟睡だ。なので4日目で帳尻があうという訳だ。注意点は朝方寝落ちしても決められた時刻に起床すること、それが肝心。これをしないと4日間のルーティンが崩れる。

現役時代も眠れないことはあった。客のクレーム対応や社内の不祥事処理のための精神的理由による。夜中の3時にクレーマーに電話で起こされたり、明日のトップ説明の半端ないプレッシャー、さすがに寝れない。目の前のことに精一杯で、働いていることが会社のためか自分のためかわからなくなる。その繰り返しだ。

長年務めた会社から距離を置くことで気付かされることがある。自分のことを社会的、客観的にみれていなかったということだ。人生の半分のサラリーマン生活、終わってみてよくわかる。適当に働いて、適当に我慢して、適当に金をもらって、適当に遊んで、適当に生活する。時々嬉しかったり、時々羨ましかったり、時々落ち込んだりもする。世界観だったり人生観といったものが見当たらない。全ての考えが外ではなくうちに向かう。丸山眞男のいうタコツボから出られないまま35年を生きてきたということだ。つまり思想というものがない。

でも今、遅ればせながらそのタコツボに非常に興味がある。それを解き明かすのがこのブログかも。

明日からは気の重い日々が続く、一気呵成にやらなければならない大きな仕事が待っている。半年が勝負だ。

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王将のカウンター、満卓だよ!

2022.5.22

京都、三条河原町