大宮、鉄道博物館
大宮の鉄道博物館に行ってきた。初めてだ。京都にもあるが、そちらは兄が健在の時に、岡山から思い立ったように二人で軽自動車をかっ飛ばして行ったことがある。今となってはそれが兄との最後の旅行になってしまった。ここの博物館、高崎線と上越新幹線に挟まれた鰻の寝所状の細長い場所にある。相当な面積だ。建物も4階建てで延べ面積も凄い。受付近くでは懐かしい「日の出号」が迎えてくれる。感激、修学旅行が懐かしい。
結構賑わっている。小学校低学年以下の子供が多く、観光バスで来ている団体も目立つ。鉄道マニアらしき年配のおじさんもチラホラ、目が輝いている。メインは1階エントランスから直ぐのところ、懐かしい車両でいっぱいだ。室内を少し暗くし、照明の効果を利用している。なので寝台列車はとても見栄えがいい。
弁慶号から始まって、役割を終えた列車、電車、機動車が目の前に聳えている、迫力だ。列車や電車はいつもホームから見ているが、下から見上げると圧倒される。よくこんなものを作ったって感じだ。見覚えのある車両を見ていると、その時々の思い出が走馬灯のように蘇る。
鉄道には小さい頃からワクワクさせられてきた。我が家にはオレが小学生の頃からいつも最新版の時刻表が常備されていた、毎月父が買って来ていたので。その影響か、兄がじきに鉄道マニアになり自ずとオレも。鉄ちゃんほどではないが、なんか理由なく惹きつけられるものがある。
オレが小学生に上がると同時に、家族で岡山から上京した。その後、毎年、夏休み、場合により冬休みも、岡山の母の実家に兄と二人で里帰りした。夏休みは1ヶ月間、岡山の田舎で従兄弟二人と生活を共にする。両親は共働きだったので、手間要らずで送り込んだのだろう。でも、岡山へ帰る1ヶ月前から汽車に乗れるのでありがたや、興奮気味だ。何故なら、特急の指定席は乗車1ヶ月前から売り出しだったので、席が取れるかどうか、既に旅は始まっている。今と違って、景気の良さから指定席券は即刻完売。懐かしき日のゴルフ場の予約と同じだ。こんなことの繰り返しで鉄道にハマっていったらしい。
岡山との行き来は勿論、国鉄、今はJRだ。小学校3年生の時、1964年に新幹線が東京から新大阪まで開通した。
それまでは、東海道本線、山陽本線を乗り継いで津山線、又は姫路から姫新線周りのどちらかだ。始めて上京した時は特急「つばめ号」いわゆるこだま型の肌色の電車だ。ここでは「とき号」「ひばり号」として展示してある。
津山線は当時、C11の蒸気機関車だった。窓を閉めるの忘れて煤だらけになったっけ、冬場はラッセル車なんかも走っていた。
新幹線で新大阪まで行き、新大阪から岡山までは、在来線の新大阪始発の特急か急行だ。特急は「はと号」「しおじ号」この二つもこだま型。
急行は「鷲羽号」これは今も走っている緑と橙色の湘南電車、でも、客席は全てボックス。窓開けっぱなしで岡山まで、ガタンゴトン、レールの繋ぎ目の音を聞きながら3時間。
その後、新幹線が岡山まで伸張したので、在来線の楽しみはなくなった。でも、それはそれで楽しくもある。新幹線ははじめ、ビュッフェが付いていた。それがある時、食堂車に変わったのだ。それから兄と二人で帰る時は、指定席を買っているにも関わらず、初めから食堂車に陣取り、姫路辺りまで飲み続ける。指定席がなく、自由席でも座れない人達が食堂車に集まってくるのでいつも混んでいた。窓側に二人で陣取り4時間位飲みっぱなし、動く洒落た居酒屋だ。今でも思い出す、冬場、酔いが回った頃、岐阜羽島駅を通過し、関ヶ原の真ん中に差し掛かる。関ヶ原は東海道新幹線で唯一雪深いところだ。なので、酒飲みながらの雪景色は最高です。飲み鉄冥利に尽きる。
その後、一通り館内を巡ったが、オレは車両達の展示で十分満足。
帰りに懐かしさのあまり、本屋に寄って、1964年の新幹線開通前9月号と開通後10月号の復刻版時刻表を買ってしまった。見るだけで当時が蘇る、もっと早く買えばよかった。
おしまい
2021.11.8