岡山、備中松山城

日本で唯一天守が残ってる山城に登ってきた。雲海に囲まれた天空の城塞で有名な岡山県高梁市が誇る備中松山城だ。登る前に雲海を見ようと数キロ離れた雲海展望台に行ったが雲がなく全体に霞みがかってよく見えない。雲海にお目にかかるには、天気予報と時間が肝心らしい。朝は八時前がいいそうで、いきなり来てもダメ、そりゃそうだと納得。でも、高梁市の街並みはとても綺麗だった。

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そこから車で10分程で登城用のバス停に着く。お城に登るには、松山城がある臥牛山の5合目から8合目辺りまではバスで登り、あと2合が登山だ。その2合を30分ぐらい登るがこれがきつい、ほぼ8割が階段だ。登りは汗だく、帰りは足がガクガク、根性物語、そこまでして登る必要があるのか。三の丸、二の丸、本丸と登り、段々年齢層が若くなる。途中で断念する高齢者も目立つ、今年でオレも仲間入りかとなんか複雑だ。

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天守は、現存する中で一番高いところに位置するらしいがこじんまりしたお城だ。ここに殿様始め何人寝れるかと思うと、篭城の際に困りはしないか、余計な心配をしてしまう。お偉いさん以外は座ったまま寝るのかも。それにこの手のお城は階段が狭くとても急だ。ここも御多分に洩れず人一人しか通れない。なので、上り下りの交通整理が必要。下りは転げ落ちないかと恐怖を感じる、歳も感じる。

それにしても、こんな高い山の上を切り拓きよく建てたものだ。殿は籠か何かで楽チンだろうが足軽はかなわん。足腰が強くないと生死に関わる、ギックリ腰などになったら一貫の終わりだろう。動物がサバンナで足に怪我をして座して死を待つのとあまり変わらない。碌な食事も取っていないだろうし、エネルギー的にも厳しそうだ。増して真夏、真冬などは想像を絶する。現代に生まれてよかったと思うが、今は今で違ったつらさがあるだろうと、そんなことばかり考える。

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この城は鎌倉時代に建ち、それから城主が16回も変わっている。元々は織田側で、その後毛利の手に落ちた。次に関ヶ原で敗れ、幕府の管轄となる。明治の廃城令の時、あまりに高いところにあったため放って置かれたらしく、お陰で何回かの改修を経て現存している。お城も人もラッキーはたまにあるし、勿論逆もある。歴史の偶然って恐ろしい。

ここの本丸には、「さんじゅーろー」という猫城主がいる。ウィキペディアにも掲載されている。以下ウィキペディアより。「さんじゅーろーは2018年、平成30年7月豪雨の直後に備中松山城、三の丸付近で保護されたオス猫でその当時は推定3歳であった。保護された場所が備中松山城でもあり備中松山藩藩士新撰組七番組組長の谷三十郎にちなみ、さんじゅーろーと名付けられた。同年12月16日、備中松山城PR大使に任命され常に同城に常駐している。」

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あの西日本豪雨の被害から逃れようと登って来たのかも知れない。

おしまい

2021.10.16