京都洛北界隈

半年ぶりの京都。コロナもここに来てやっと人間と同居してもいいくらい、奴らも疲れてきたか。お陰でこちらも、何度目かの解放感、というわけでいつもの京都を味わっている。今回は洛北、叡電沿線だ。まず、御所北東の鴨川沿いの出町柳駅から叡電こと京福電鉄で約30分、終点の鞍馬駅一つ手前の貴船口駅を目指す。源義経が若かりし日々を過ごした鞍馬山の西側に位置する貴船界隈だ。川床料理で夏場の涼を売りにしている。ここは学生時代叡電沿線に住んでいながら一度も訪れたことがなかったので以前から気になっていた。

f:id:matsunari812:20220404054452j:image

この電車、途中宝ヶ池というところで鞍馬行きと比叡山口駅行きに分岐するが、宝ヶ池より一つ鞍馬寄りに八幡前という駅がある。実はそこに学生時代を通してお世話になった下宿が駅そばに存在している。下宿といっても2階を間借りしていて、風呂は大家さん家族の後にいただける、賄い付きとはいかないがでもとても居心地が良かった。そのため4年のはずが5年間も長居してしまった。おかみさんはとても優しく、旦那さんは強面だ。そんな下宿生活で未だに赤面する場面が思わず頭をよぎる。2階に部屋が四つあり、同じ大学の同級生がそれぞれ陣取っていた。全員文系だが、何と学部は全部違う。ある時、オレだけおかみさんに呼ばれて、娘の勉強を見てくれないかとのこと。つまり、4人いる中のオレに白羽の矢が立ったというわけ、娘さんの希望だそうだ。そんなわけで多少の優越感とともに二つ返事で引き受けた。多分、英語だろうと踏んだが何と忘れもしない集合の問題だった。小学校でなんか習ったようなそうでないような。結果は敵前逃亡寸前、ごめんなさいだ。情けないやら、カッコ悪いやら。それ以来、お声はかからなかった。

話はそれたが、貴船口駅に下車すると、駅から貴船神社まで清流沿いを右手に見ながら40分ほどなだらかな坂道を登る。夏場にはその清流の上に床を置き料理を提供する。今の時期は川床はないが、食事を提供している店はいくつもある。どの店も京都らしく趣きがありまたの機会に来てみたい。

f:id:matsunari812:20220404054643j:image
f:id:matsunari812:20220404054641j:image

左には貴船神社総本宮、結社、奥宮の順に標高が高くなる。折角なので奥宮までお参りをしたが結構きつい。ここは平安時代歌人和泉式部が仲の悪かった夫に悩み、貴船神社にお参りしたところ寄りを戻したという言い伝えがある。そのため恋を取り持つ神様と言われるようになったそうだ。どおりで老若男女、手を繋いだカップルが多い。和泉式部といえば、清少納言紫式部のかげに隠れがちだが、そんなことはない、日本を代表する女流歌人だ。和泉式部で唯一知っている詩の歌碑があり感動した。「物思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂(たま)かとぞ見る」、恐ろしく情熱的で勝気な人だったらしい。因みに貴船神社は水の神様を祀っている。

f:id:matsunari812:20220404054815j:image
f:id:matsunari812:20220404054820j:image
f:id:matsunari812:20220404054817j:image

帰りに八幡山駅で下車し、下宿の周りを散策した。勝手口に回ったら靴が二足あったので下宿業はまだやってるようだ。ひょこりおかみさんが出てきそうな、なんとも学生時代となんら変わらない気持ちにさせられる。それに比べ下宿周辺は様変わりしている。隣の馴染みのうどん屋は居酒屋へ、モーニングが旨かった喫茶店は美容院に、2日に一回は通ったラーメン屋は跡形も無くなった。そりゃそうだ、あれから40年だ。

その後、八幡山から隣の宝ヶ池、次の修学院へと白川通を歩いた。白川通といえば高校駅伝、毎年観戦するが半分はカメラに映る京の街並みを見ているようなものだ。その街並みに一瞬、毎回必ず選手をバックに映るところがある。宝ヶ池の高架沿いのマンションだ。本当は、今回貴船選んだのは、帰りにここに立ち寄りたかったからだ。このマンションにオレの小学校の同級生が一時住んでいたことがある。その友達は、オレが学生の頃に突然電話がかかってきて、これから板前の修行に京都に行くのでどこか店を紹介してほしいといってきた。あまりに突然で、更には小学校卒業以来会ってなかったのでびっくりだ。

彼は小学校3年生の時にたまたま隣の席になって急速に親しくなった友人だ。当時、岡山から上京したてで周りから岡山弁を茶化され閉口した学校生活を送っていたが、彼はそんなオレに気を遣ってくれてか或いは馬があったのか、以来学校がとても楽しくなった。彼が滅法喧嘩が強かったこともあり、いつも一緒にいるとオレに対するみんなの態度もやたら変わっていき友達も断然増えた。現金なものだ。でも、お陰で子供ながら始めて社会の扉が開けた瞬間だったと思う。なので、オレには欠かせない恩人だ。

当時、オレのバイト先が飲み屋だったので、そのオーナーに頼んで知り合いの割烹料理屋に彼を紹介してもらった。そして住んだところがこのマンションというわけだ。そこでよく飲み明かしたものだ。おれが卒業して以来、連絡が途絶えていたので、あまりの懐かしさに来てみたくなった。案の定、この辺も様変わりし記憶も薄れているのでマンションを特定することすら出来なかった。なんか建て替えたようにも見える。「松ちゃん、久しぶり」なんて声がどこからともなく聞こえてくる、無性に会いたいと思った。

今回も王将と天下一品で締めくくりだ。

 

2022.3.28

京都 洛北