兄の死

今、夜明け前4時半、津山線始発で岡山から京都に向かっている。先月一人住まいの兄が突然亡くなったので急遽岡山へ。一連の儀式を済ませ浦和に帰る途中だ。

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20年前に父、2年前に母、そして兄、4人家族で育ってきたオレとしては今回の兄の死が一番こたえた。未だ立ち上がれず。一週間前には一緒に酒を飲んで、3日前にはいつものように電話で話したのに。

浦和に突然警察から電話で新聞が取り込まれていないと連絡があった。新聞配達の方が通報してくださり警察がガラスを破り中へ入ると勝手口の床に顔面を打ちつけ亡くなっていたそうだ。死因は急性心筋梗塞、遡ること3日前に死亡。流石に気持ちの持って行き場が無く、直ぐに出張で北海道にいる妻に電話し冷静さを失った。

何はともあれ、翌日岡山へ。久しぶりの新幹線で家にたどり着くと台所が兄が亡くなった時そのままの姿だ。飯台に缶ビール、ワイン、そしてツマミの沢庵。ついこないだまで差し向かいで飲んでいたかと思うと、寂しさがこみ上げひとり号泣。そうもしていられないので、警察へ兄を向かいに行ったが1時間ほど事情聴取、一応犯罪者扱い、形ばかりとはいえ辛かった。兄に会い冷暗所へ、また号泣。時間が経っているので自宅には戻せずセレモニーで預かってもらう。

お寺、セレモニーと葬儀の段取りをし、家に帰ると兄の思い出だらけ、何よりも一人ぼっちがこたえる。妻と娘が来てくれてなんとか持ち直し儀式を済ますことができた。家族葬とも思ったが、田舎は講組というのがあり近隣とのつながりが強く、一般葬にした。もうお世話になることもないので家族葬との助言もあったが、これからではなく今までの感謝のつもりだ。最後のお別れの時、母の時からよくしてくれているセレモニーの若い担当者の心遣いで酒の好きだった兄のために親族全員で口を酒で湿らせてやった、兄もさぞ満足だろう。

なんとか兄を送ることができたが相変わらずの虚脱感、娘、妻の順に帰って行き、後処理のために一人残され極度の寂しさが滲み出す。それ以来血圧が高く、薬飲んでも下がらない。医者で点滴を約1時間、その間定期的に看護士が血圧を測りに来るが全然下がらず、その度に薬を飲まされそれでも下がらない。薬を飲むこと計5回。最後に違う薬を調合され返された。それ以降怖くて血圧を測っていない。医者が言うには寒さ、兄の死、環境変化が原因だと言う。今思えばそうだろう。

電車は始発とはいえ結構混んでいる、今日はおかやまマラソン2019の日だ。元気な人々を尻目にオレは京都の浄土宗総本山知恩院へ、法然聖人に兄のことをお願いするためだ。母が亡くなった時もそうしたが、やっぱり辛い時の仏頼みか、というより京都が心の拠り所かもしれない。

さっ、父が建てた馬鹿でかい誰もいない家、母が相続していた田畑、そして墓、これからどうする。誰かがしなければならない大きな仕事が待っている。

つづく

2019.11.10

津山線