親愛なる友の死

明け方の4時、酒の力を借りて寝たものの、いちど目が覚めたら眠れない。頭の中を走馬灯のように巡るのは安藤のことばかりだ。昨日の16日、安藤のお兄さんから電話があり、安藤が先日亡くなったとの知らせを受けた。

丁度、大宮の氷川神社周辺を散歩していた時に携帯がなった。着信画面に049の川越の市外局番が飛び込んできた。オレの兄が亡くなった時に岡山の警察から電話があった086、あの時と同じ嫌な予感だ。そして予感が的中した。生前安藤から、俺が死んだらお前の所に川越の兄貴から知らせてもらうようにしてあると言っていたからだ。瞬間立っていられなくなり歩道の脇にへたり込んだ。

安藤は元々心臓に持病を持っていて、それが悪さをしたらしい。8月1日に緊急入院して昏睡状態のまま、9月7日に息を引き取ったそうだ。昨日、葬儀が終り連絡をくれたとのこと。線香の一本でもと言ったが丁重にご辞退された。コロナ禍のこともあったのかもしれない。

実は、7月の半ば、飲みに行く約束をしていたが、オミクロン株の感染者が急増していたので少し様子を見ることにして、落ち着いたら安藤から電話がくることになっていた。ただ、8月12日がオレの誕生日で、毎年フェイスブックに投稿してくれていたのが今年は来なかった。おかしいなとは思っていたが、来月が安藤の誕生日なのでその時メールしようと安易に構えていた。その時連絡しても既に意識はなかったのでどうすることもできないが、とても悔やまれる。以前、安藤からのメールに気づかず連絡ができないでいた時、安藤から、なんかあったのかと思ったと、いきなり電話があった。そのことが頭をよぎり、安藤の優しさとオレの不甲斐なさがとてつもなく身に染み、そして落ち込んだ。

そんなことがあったが、ここのところオミクロンも減少傾向にあるので、安藤のメールを毎日楽しみに待っていた矢先の出来事だ。

安藤とは会社の同期入社で初めて会って以来、既に40年の付き合いだ。当時はバブルの頂点に向けまっしぐらで就職も売り手市場、我社にも、よくは覚えていないが、数十名入社してきたと思う。新入社員中、安藤とオレが最年長だったので何かと気が合った。今でも忘れられないのが、同期で初めて飲んだ時、他をよそに盛り上がりすぎて、二人だけ浮いた感じになった。安藤との付き合いがそこからスタートする。

二人が年長の理由は、安藤は二浪、オレは一浪一留で二人とも2年ダブっているからだ。更に予備校も一緒だ。当時、高田馬場駅のほど近い所に早稲田学院という予備校があり、安藤は2年、オレは1年通った。袖触り合ったことは何回かあったと思う。隣の立ち食い蕎麦屋で隣同士で食べたこともあるかもしれない。オレは毎日授業前に通い、安藤もよく行ったそうだ。かけ蕎麦を頼むと必ず天かすを入れてくれるおばちゃんのことを懐かしく話したりしたものだ。中でも話が盛り上がったのは、予備校の選択を間違えたということ。早稲田学院から数百メートルいった所に早稲田予備校だったか早稲田ゼミナールだったか他の予備校があり、早稲田学院とどちらにするか悩んだ。違いは、早稲田学院は大講堂で授業を受けるが、一方は少数精鋭の授業形態だ。オレは高校時代の友人と一緒だったので相談した結果、少数精鋭は厳しそうということで即刻安易な早稲田学院に決定した。聞くと安藤も同じだった。結果、3人とも早稲田不合格、異口同音、少数精鋭にしときゃよかった。何故か安藤は2年目も早稲田学院だ。

家庭環境も似ている。二人とも次男で二人兄弟。親の歳もほぼ同じで共働き。母親の働き先も同業種だ。食卓には糠漬けと冬場の白菜の漬物は欠かせない家庭でどちらも育った。

唯一違うのは親の教育方針だ。安藤は名門、港区立白金小から桐蔭学園なので立派な教育家庭だ。そもそも桐蔭を出ているので真面目にやれば現役でも受かるし、2年も浪人すれば可能性は無限大だ。よほど楽をしたのだろうと聞くと、さもありなん。

一方、我が家と言えばほったらかし。兄貴がダメだったので弟のオレも諦められていたと思う。中学の成績がさっぱりダメで、高校も行くところがなく、東京農大第一高校の二次試験にやっと引っかかった。最悪、中学浪人かとも思ったが、なんとか人並みに高校に行けた。なので母親は、大学受験の時、発表の一番早かった立教の経済を受かった時には泣いて喜んで、驚くことに勝手に返ってこない入学金を納めてしまったぐらいだ。まぐれで受かったので早くしないと逃げてしまうかの如く、トチ狂ったとしか言いようがない。これも親の愛情かとも思う。因みにもう一年浪人させてくれと頼んだが無理だった。

我々の会社年代は1981年から2016年までだ。経済的には、80年代のバブル期、その後90年代以降の失われた20年、そして失われた30年で定年となる。なので、初めの10年はそれなりの昇給はあったが、その後は泣かず飛ばすだ。幸い減給はなかったものの、給料を上げるには昇格しかない。結果、能力以外の要因が大きく左右することになる。下は上に対してイエスマンになり、上は下を好き嫌いで評する、そんなせちがらい時代かつ会社だ。当然、誰もがストレスとの戦いになる。その解消には何かがないとダメだ。解消の方法は千差万別、旅行、ゴルフ、酒、子供の寝顔、更にはコスプレなんか。オレの場合は安藤だったかもしれない。兎に角二人でよく飲み、よく議論し、よく遊んだ。永遠に封印しておく二人だけの秘密も幾つもある。安藤の存在がオレのストレス解消になったのは間違いない。おそらく安藤もそうだろうと、勝手に思っている。これから、そんな昔の話をツマミにいっぱい昼飲みしょうと思っていたのに、今回は本当にこたえた。立ち上がれそうにない。

退職後はお互い、親の見送りと家の整理に明け暮れる。オレは岡山の実家の問題、未だ解決せず。安藤は自由が丘の実家でお袋さんの面倒を見ていたが、お袋さんが施設に入ることになったため、長年住み慣れた我が家を整理して川越へ越してきた。その際、業者に頼んで住み慣れた実家の家財道具を一気に処分した。これには決断と苦痛が伴う。家族の思い出、育ってきた軌跡、家中に染みついた匂い、全て残しておきたいが、それが無理なのだ。なんで無理なのか、なんでオレらの代でこんなことになるのか、合点がいかない。2、3年前に売れた「サピエンス全史」や「オリジン.ストーリー」を読めばヒントがある気がする。いずれにせよ時代は、そっとはしておいてくれないということだ。

安藤とのことは、もっともっと書いて残しておきたいが、二人の秘密や安藤の気持ちもあるので、このくらいにしておきたい。

今、川越にいる。いてもたってもたまらず、安藤が住んでいたところや駅周辺を徘徊して、安藤とよく昼飲みした居酒屋で一人呑みしている。アイホンで安藤の写真を見ながら献杯だ。

帰りがけ、川越駅の改札を通り抜け、振り返るといつも安藤が手を振っている姿がない。途端に嗚咽、涙が止まらない。

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もう川越に来ることは無さそうだ。やっぱり安藤には自由が丘が似合う。

最後の川越、居酒屋大で

2022.9.17