久々の美術館

久々の上野、国立西洋美術館、60周年記念イベント松方コレクション展を観てきた。

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第一次世界大戦の船舶需要で得た金で絵画を買い集めた川崎重工の松方幸次郎が収集した絵画、彫刻を所狭しと展示してある。観ているうちに、これ見たことあるというのがいっぱい出てきた。この美術館はそもそもいつでも観れる常設展に松方コレクションを展示しているので、このイベントのため、常設展から特別展に絵を移設して展示してある、なのでほぼ7割がたが常設展のもの。3回も常設展に行っているオレには新鮮味なし。要は、松方幸次郎に関わる作品を一箇所に集めた展示会ということだ。でも日本の美術館に多大な貢献をした立派な人だと思うし、国立西洋美術館の社会的貢献は計り知れない。

今回の目玉とされるゴッホの「アルルの寝室」は観れて良かった。ゴッホが苦悩した空間が見事に再現されている。もう一つの目玉、モネの睡蓮の修復があったが、特段これといって感動があるわけでもなし。モネの睡蓮はあまりに数が多く識別不可能、光に伴って色が変化する、パッと観た感がいいのであって、修復の大変さを観たところでなるほどと思うだけだろう、修復は専門家の領域だ。

でも館内は結構混んでる。小学生と思われる団体が先生に他の人に迷惑のならないようにと注意されながら何やらノートに感想を書いていた。とても可愛らしい。絵を独り占めしているデリカシーの無いそこいらの大人のようになるなよと心の中で言ってやった。子供の感想も大人は迷惑をかけてもいいの、って書いてるかも。

そんな中、国立西洋美術館所蔵でないものだけを足早に観て常設展へ。いつもあるところに絵がない、落ち着かない、早く戻して以前の常設にしてほしい、常設の意味がない。人には人の落ち着くところがある。


絵を観てもわからない、だから美術館にも行かない、は残念。人間、経験で生きているので同じ絵を何度も見る経験をするとある時、量質転化する。わからなかったものがわかった気になる、それでいいと思う。


帰りに赤羽「いこい」で一杯、夕立が来たので二杯、そして三杯、、、。

おしまい

2019.9.10

赤羽