フェルメール展

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先日、妻と上野の森美術館で開催中のフェルメール展を観てきた。生涯で40点ほどしか描いていない画家でその希少価値からか凄まじい人気だ。入館料も倍、日本人は商売が上手い、というか足元を見るのが上手。その内の10点が展示されている。当時はバロック全盛でカラバッジョレンブラントなど光と闇自体がモチーフ化されていた時代、そんな中でフェルメールはとても優しく光を捉えている。もちろん他の画家の作品も展示してある、フェルメールと同じオランダの画家が多い。

フェルメールで最も有名な作品は「真珠の耳飾りの少女」、今回展示されていないがその代わりに「牛乳を注ぐ女」が何故か脚光を浴びている。

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看板絵でもあることから宣伝で何回も目にしてきたので必然と愛着が湧いてきたかも。今まで気持ちが動かされる作品ではなかったが今回はとてもいい絵だと感じた。

話は違うが、経験上どんなラーメンでも3日食べるとやめられない。味覚、聴覚、視覚、具体的にはラーメン、音楽、フェルメール、繰り返すとみんな中毒症状を起こす。人間の感覚は慣れることを知っている、慣れると心地いい、病みつきになる、やめられない、ビジネスのヒントになる、こんなことを思った。

上野の森美術館は初めてだったが展示場が非常に狭い、それに入場を時間制限するほど人気だ。中はごった返し、中々前でゆっくり見られない。それにフェルメールの絵自体が小さく目が悪い者からするとメガネを上げ下げしとても疲れる。

絵画を鑑賞する理由はそれぞれだ。勉強のために観る、記念で観ておきたい、デートのお誘い、話のネタとして観たい、文化人の私なら当然、オレはコンプレックスだ。

理由はなんでもいいが、絵画と言うものは見る側の心に落ち着きや余裕があった方がいい。超有名画家の作品を通勤電車の如く混雑した状況で観ても感動はない。いってみればあまり人気のない日本のどこか場末の美術館でゆったりと鑑賞した方がみる絵にかかわらず味わい深く感じるだろう。例えば、美しい森の中で一幅の絵を一人で観賞する、そんな場面を想像したら、どんな絵でも感動だ。

因みに上野の森美術館から徒歩5分でフェルメールの絵が常設展で一幅だが観ることができる。国立西洋美術館にある「聖プラクセディス」だ。

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安く、ゆったり観れるよ、とてもいい絵だ。

おしまい

2018.11.3
上野