「知ってるつもり 無知の科学」を読んだ。

f:id:matsunari812:20180709143202j:image

「各界著名人絶賛!」なんてブックバンドを見たら買わずにいられない。何度悔やんだか、「過って改めざる、是れを過ちという」の孔子の言もなんのその、また買った。というわけで「知ってるつもり、無知の科学 (スローマンとファーンバックという2人の共著)」という本を読んだ、大当たり。

「人間は無知なのに自覚が無い」から始まる、ドキッとした。毎日、トイレやズボンのファスナーを当たり前のように使っているが、その仕組みを聞かれるととんと答えられない。驚くべきは自分では理解しているつもりでいること、理解度の過大評価だ。これを著者は「知識の錯覚」と呼ぶ。でも答えられないことで生活に支障はないし、知ろうともしない、これには理由がある。

訳者のあとがきをかりれば、「人間の知性は、新たな状況下での意思決定に最も役立つ情報だけを抽出するように進化してきた。頭の中にはごくわずかな情報だけを保持して、必要に応じて他の場所、たとえば自らの身体、環境、とりわけ他の人々の中に蓄えられた知識に頼る。人間にとってコンピュータの外部記憶装置に相当するものを、著者らは知識のコミュニティと呼ぶ。知識のコミュニティによる認知的分業は文明が誕生した当初から存在し、人類の進歩を支えた」というものだ。

人間は無知でその無知を自分で自覚していない、でも文明は進化した。何故か、確かに自分は無知でわずかな知識しかないが、足りない分を周りの環境から取り入れる。主たる環境は他の人の知識だ。世界のありとあらゆる知識を個人の頭の中に蓄積することは不可能だ、身近な自動車の専門家でさえ1人で全てを理解しているものなどいない。人間の知識の量など70年間で1GBだそうだ。そんな人間が文明を作り上げてこられたのは集団の力による、つまりコミュニティだ。コミュニティの中でそれぞれが自分の役割を忠実にこなし、総和以上の力を出す。これを裏付ける研究成果が書かれている。ある研修の話だ。

一つの研究課題を複数のグループに与える、その時各グループには違った専門的観点から研究させる。研究に際してそれぞれの専門家や文献資料などの力を借りながら知識を向上させる。次にその各グループから一人ずつを集め新たなグループを結成し、先の課題に関連する新たな課題を与える。するとそれぞれのグループが異なる専門知識を持ったメンバーの集団になり高度な課題解決につながる。ここでいうグループは正に知識のコミュニティだ。知性は個人の頭にあるのではなくコミュニティにあるとも著者は言っている。何回も研修を受けてきたがこんな研修受けたことないぞ。

今流行りのAI人工知能が人間を超える、いわゆるシンギュラリティが話題になっている、この本はそれに重要な示唆を与えてくれる。著者は言っている「人間とコンピュータの違いをより端的に示すのは、人間は思考するとき、メモリから読み書きする中央処理装置を使わないという点だ。人間は自らの身体、自らを取り巻く世界、そして他者を使って思考する。頭蓋骨によって脳の境界は定められているかもしれないが、知性に境界はない。知性は脳にとどまらず、身体、環境、そして他の人々をも含む。このため知性の研究は、脳の研究だけにとどまるものではない」と。知性は脳の中で情報処理をするだけでなく、身体、外部環境と強調しながら記憶し、推論し、意思決定をする。なので、脳の中だけを調べてもダメ。知性は脳の中にあるのではなく、むしろ脳が知性の一部なのだという。知性は情報を処理するために脳も使えば他のものも使う。ひとつのコミュニティが自分の知識と他の人の知識を結集しながら目的を達成しようとすること(著者は志向性と呼んでいる)はAIにはまだまだ理解できないことだと思う。

さらに著者は言う、人は思考するとき直感型か熟慮型に分かれると。直感とは自分の無知を自覚していないで短絡的に物事を判断する人のことだろう、感情的と言い換えてもいいかもれない。熟慮型は自分の無知を自覚し周りに質問して知識を借り冷静に判断する。知識のコミュニティ内でいえば、直感型に修正をかけるのは熟慮型の人だということだ。ここで知識のコミュニティが生きてくる。

大切なのは、まず無知は避けて通れないので自分の無知を自覚すること。その自覚が無いと厄介だ。浅薄な知識と知性をもって知識の錯覚のもと暴走する奴がいる。そんなことにならないために知識のコミュニティの大切さを考え直さなければならない、今だからこそ。注意すべき点は三つ。一つは自分の専門性を向上させること、二つ目は全体が網羅できるような一般教養を身につけること、三つ目が他の人たちの専門知識を尊重することだ。三つ目は二項対立的な争いをなくすための人類の永遠の課題だろう。

とてもいい本だ。仮説とエビデンスの繰り返しでとても説得力がある。文章もオレ流絶対条件の歯切れの良さも抜群。訳者は土方奈美さんという翻訳家だが非常に上手いと思う。本末転倒かもしれないが土方奈美さんの翻訳本をもう一冊読んでみよう、こんな本の読み方があってもいい。

この本に書かれていることは、当たり前のようであってなかなか気がつかない。でも日常生活に当てはめてこの本に向き合うと言い得て妙。妻の質問に知ったかぶりで答える、さらに質問が来る、悪あがきする、窮する、化けの皮が剥がれる。直感型と熟慮型の違いだ。

ボーっと生きてんじゃねえよ!」チコちゃんに叱られる
おわり

2018.6.6
何十年に一度の豪雨の中で。
岡山・美咲町