選挙

f:id:matsunari812:20190727174833j:image

参院選が終わった。とりあえず、安倍政権が信任を保持した形だが、投票率は下がる一方。何故か、考えざる得ない。自分を例にとると見えてくるものがある。

①政治に能動的になれない、②これという候補者、政党がない、③イデオロギーが複雑、こんなところかな。

①は、性格にもよるところが大きいが、もっと大きいのは教育だ。落合陽一氏が言っている劇場型の教育で横並び、受け身、先生からの一方通行的な教育を受けてきたと思う。戦後我が国は、防衛はアメリカに任し経済に注力した。そして大量生産、大量消費を繰り返し、結果高度成長をもたらした。同時に急速な欧米化、気がつくと日本人気質をすっかり忘れている。その立役者が教育だ。つまり劇場型の教育はそんな真面目な、仕事オンリーのビジネスマンを作るのには都合が良かったということ。何も考えなくてもだだだだ言われた通りに働くことで裕福さを手に入れてきた。身を任せればなんとかなる、に慣れきってしまった。特にオレみたいなサラリーマンは典型的だ。会社のいいなりになることで生計を立てる、更には住宅ローンというとっておきの鎖に繋がれて身動きできなくなる、とどのつまりは事なかれ主義に陥り、会社という傘に身を隠す。こんな受動的体質が染み付いたら選挙なんか行かんだろう。

次に②、投票する候補者、政党がない。これは数ある不祥事を見れば納得がいくが、あの失われた3年は最たるもの。これでは政治不信に陥り選挙なんか行かなくなるのも無理はない。政治家が投票率が低いことを嘆くがお前が低くしてんだろう、と言いたくなる。そうは言っても誰かが政治をやらなければ国は成り立って行かない。そこで消去法でいくこととなるが、オレの時代、失われた20年の真っ只中、やってもやっても成果が現れないし締め付け一方だ。こんな状態では消去し尽くし投票するところが無くなる。なのでここでも選挙に行かなくなる。

最後に③のイデオロギーだ。オレの時代、政治、政党は右左で捉えてきた。55年体制、米ソ冷戦、労使、とてもわかりやすかった。でも55年体制も東西冷戦も崩壊し、労働組合は有名無実化、そしてグローバル化による中国共産党の市場参加、さらには新自由主義だの社会民主主義だのと右と左が交錯状態、ガラガラポン、やがて訳わからん状態だ。日本の政党も御多分に洩れずだ。人間の脳は二項対立を好むのに。なので複雑化すればするほど選ぶのがめんどくさくなる、すると選挙に行かない。

そんなわけで、選挙に行かないだらけになってしまったが、じゃあどうする。本を読むこと、これしかない。いままで選挙に行かないことを人のせいばかりにしたが、もちろん自分の不甲斐なさは沢山あるし、無知さにも驚く。国、国民、政治家、官僚、そして選挙の本当の役割すら知らないのだ。まずは本当の社会の仕組みを知ること、そのために本を読む。例えばこれらのことを本当に理解するにはルソーの社会契約論は必読だし、フランス革命の歴史的意味合いは必須だ、というように古典などの本から得られるものは裏切らない。

選挙は民主主義の根幹だが、民主主義を守るのは誰か、我々国民だ。

民主主義で最も大切なことは選ぶ側が選ばれる側と対等な知識と知性を持ち合わせることだ。そうしないと時の政権に審判を下せないし、マスコミに翻弄されるだけ。民主主義の原点と言われるアテネは、選挙権を持ってるものは国を監視するため働かないで日々勉強していたそうだ。働かなかったら食えないと思うがところがどっこい奴隷がいた。今の我々はそんなの不可能だが、奴隷の一部がITだったりする、考え方だ。

我々は選挙という形で政治家を選び日々監視していかなければならない。おかしなところがあったらいつでも交代させる。そのためには知性と知識は常にアップデートしなければ専制国家の出番だ。そのための手立ては歴史や哲学をはじめとする本から得ることが唯一信頼できるものだ。本から知識を得ながら選挙に臨む、少しは見方が変わるかも。

それにしても本当に腹がたつのは、受験英語のために費やした時間だ。なんの役にもたってない。そんなのやめて古典の一つでも読んだ方がよかった、馬鹿らしい。

2019.7.27

浦和