北野天満宮と今出川通りの旅

岡山からの帰り、やはり京都。前回来た時に泊まった三条河原町近くの新京極内にあるホテルグレスリー京都三条に荷物を置いて京都巡りスタート。このホテル、余計なものを排して実用的、とても綺麗で、広くて、安い、超オススメだ。なんと言ってもバスルームがトイレとは別、ゆったり。それに洗顔用の洗面台が外にあり便利だ。因みに、Yahooトラベルのセール、スタンダードダブルでなんと24平米税込3311円、紅葉シーズンではこうもいくまい。でも、ホテルもここまで来たか感満載、京都の中心地なので、京都に来たらここを拠点に決めている。

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今回は北野天満宮へ、早速、バスで向かった。知っての通り、ここは菅原道真公を祀っているいわゆる天神様の総本山だ。天神様は数あれど、その中心的存在ならば一度は来ておきたい。

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九州の太宰府天満宮にはだいぶ前だがお参りした。さだまさしの歌、飛梅で有名だ。その梅、親がここの梅だそうだ。つまり原種。

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学生時代、ここ京都でさだまさしのコンサートを見に行ったことがある。その時からこの歌がお気に入り。菅原道真太宰府天満宮北野天満宮飛梅伝説、京都、学生、さだまさし、当時が甦る連想ゲームだ。

修学旅行の学生たちが受験の祈願をしていた。オレも習ってお参りしようとしていると、幼稚園の児童たちが保母さんに連れられてニ例二拍手一礼を頑張っていた。未来、夢、可能性に溢れる光景だった。

お参りを終わって、いつもの王将にはまだ早いので、ホテルまで歩くことにした。北野天満宮は西から東へ突っ切っている今出川通りの西側、そこから今出川通りをひたすら東に歩き、下鴨神社の下から鴨川沿いに南へ下って三条通りを西に入ってホテルへと、どえらいルートだ。この今出川通り、歩いてみると発見や思い出の宝庫だ(下のイラストでは紫のペイントの部分を歩いたよ)。

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改めて思うが、京都の通り沿いは間口の狭いお店が多い、それも独特のこじんまりした店構えでどこも静かな佇まいだ。全てがゆったり流れる。時間と合理性に追われる資本主義、どこ吹く風って感じ。通り沿いには、喫茶店、散髪屋、他に食堂が多い。なので、歩いていると次々と、この店なんだ、ここ美味そうだなあ、なんて興味が尽きない。

歩き始めて程なく、通り沿いに白峯神社という社が目に入った。何処かで聞いたような固有名詞、あっと思った。神社の境内に入り更に合点が入った。この間、金毘羅さんに行った時、崇徳院が合祀されていると知った。その折り、ウィキペディア崇徳院を調べていたら、京都に白峯という神社があり、そこにも崇徳院が祀られていると書いてあった。その時はまた今度、と思っていたがその神社がなんと、たまたま歩いていた今出川通り沿いにあったのだ。偶然にしろ驚いた。この神社、スポーツの守護神でもあり、サッカー日本代表やバレーボール女子代表などがボール等を奉納しているとのことだ。

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北野天満宮菅原道真、そして崇徳院とくれば次は平将門だろう。そう、日本三代怨霊というわけだ。次は将門を追いかけないわけにはいかない。

更に今出川通りを進むと、天下一品の看板が懐かしく迎えてくれる。今出川通りと烏丸通りが交差する烏丸今出川の交差点からほど近いところにある京都が誇るコテコテラーメン店の今出川店、構えは若干新しくなっているが昔の名残まだ十分だ。この店は学生時代仲間と真夜中によく来たものだ。懐かしい、タイムスリップ。

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烏丸今出川の交差点は南西にこの天下一品、南東に御所、北東に我が母校、そして北西に雀荘があった筈だ。まさかと思い、探すと看板がまだある。2階なので階段を登っで確認すると入口から見える雀卓は健在だ。卒業して40年の月日、感動的だ。それだけ需要があるということなのか。京都は学生の街、喫茶店、ライブハウス、食堂、雀荘は欠かせない。先頃、大学の郊外移転が見直されているが、そうだと思う。周りが田畑の環境で授業を受けるだけでは学生の感受性が磨かれない。学生の本分って何か、勉学だけではない、大人一歩手前でしかできない経験だ。自己弁護になるのでこれくらいにしておく。兎に角、京都は学生にトコトン優しい街です。

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母校のキャンパスを通り抜け、更に今出川通りを進む。初めて親から離れ、大学の掲示板で探した下宿に向かう、不安と期待が交錯するなんとも形容し難い気持ちが甦って来る。

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鴨川に出る前に、出町柳商店街に寄った。テレビでうどんと鯖寿司が有名な満寿形屋を確認するためだ。今食べると夕食に影響を及ぼすので今度また。

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鴨川の川辺は老若男女を問わず憩いの場所だ。比叡山に抱かれた盆地を貫く一級河川、歩いているだけで憩う。鴨川もいいが、北から南に向かって右側を歩くと小川が流れている。水草の中で小魚が泳いで心洗われる、あまり知られていないオレの癒しスポットだ。

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ホテルに一度戻り、スマホを充電し、いざ王将へ。いつものメニューを平らげほろ酔いに。何故か昔懐かしい喫茶店でもと思い、ネットでジャス喫茶を検索したが、近場でひっかからず。河原町通り沿いの老舗、六曜社のコーヒーを味わう。ここは昔ながらの店なので、喫煙可。コーヒーとタバコはセットのお店だ。みんな煙の出るタバコを吹かしている。なので、マスクをしているのは店員ばかり也。一昔前に遡ったよう雰囲気、でも、こういう店は無くならないでほしい。何故かって、訳わからず、懐かしく、落ち着くからだ、理由なんか無い。女性おひとり様が目立つ、この辺も昔あった光景だ。

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帰りにラーメン、もちろん天下一品だ。新京極に最近できた店、ちょっと暗いが味は同じ。辛子ニンニク大盛りで、と思ったが本日すでに閉店だ。仕方ないので、祇園店に足を運んだがやはり終わっていた。それもそうだ、チェーン店なので。それでもラーメンと、鴨川ベリの眠眠という街中華的なお店に入りビールを頼んだらなんと633。飲んでいると客がオレ一人になり、すると従業員が一斉に片付けだした、落ち着かない。いづらくなり、というより段々むかついて来たので速攻店を出た。なので、本日ラーメンに辿り着けず。コンビニでつまみを買って本日終了、今日はお疲れ様でした。本日の歩行、18キロ、23000歩。

おしまい

221.1.28

香川

ここは香川、「金毘羅船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ」で知られたこんぴらさんだ。妻と香川に本場の讃岐うどんを食しに来たついでに足を伸ばした。ところがドッコイ、ついでに来るところではない、甘かった。象頭山という山の中腹に位置する神社なので、本宮まで785段の階段を登らなくては辿り着けない。知らずに登り始めたのが後の祭りで、ここまで来たのだからと一段また一段、やっとの思いで克服した。こんなにハードなのに何故かお年寄りも多くお参りしている。四国八十八ヶ所プラスアルファ的にお参りしているのかも。最もここは神社だが元々は神仏習合だったのでお遍路さんとも矛盾はしない。かの弘法大師空海の生誕地とされる善通寺が近くなので、神様、仏様となんでもござれだ、とても日本的だ。

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参道の茶店がとても充実しているが、あまりのキツさに楽しめない。途中でビールでもといきたいところだが、車なのでそうもいかない。只々階段と格闘だ。この間、備中松山城に登ったが、あの登山を上回る過酷さ。一人で来ていたら間違いなく頓挫していただろう。

ここのお宮には保元の乱崇徳天皇が合祀されている。崇徳院といえば百人一首に有名な歌がある。「瀬を早み 岩にせかるる滝川の  われても末に あはむとぞ思ふ」という歌、落語の演目にもなっている。

崇徳上皇皇位継承後白河天皇と争い、結果、平清盛がついた後白河天皇に敗れ讃岐に流された。雨月物語によるとその怨念が強烈で自ら狂死したそうだ。自分の舌を噛み切った血で呪いの言葉を残し、爪も髪も伸ばし放題で怨念の塊で亡くなった。そんな人が歌ったとは思えないぼど実に情熱的な恋の歌だ。そんな崇徳院、ここで眠っているとは新たな発見。785段の階段を登った価値あり、好奇心の塊である妻に感謝。というのも、先にも触れたが、元々金毘羅さんは予定していない、妻の一言、思いつきの賜物だ。

因みに、讃岐うどんはネットランキングで上位の日の出製麺所というお店。チャキチャキのおねえさんが列を取り仕切って食べ方の説明をしていた。あまりに早口なのでよく分からず入店。初めに1玉、1.5玉、2玉と温、冷の選択をして中に入る。妻は1玉だがオレは1.5玉、1玉のなんと少ないこと。トッピングは揚げ、竹輪天、味付け肉を注文した。日頃、丸亀製麺に慣らされているので自然と比較してしまうが、若干麺は柔らかく、味は少し濃いめ、でもとても美味しかった。営業時間はなんと昼の11時30分から12時30分のたったの1時間、配達や納品の仕事が中心らしい。なので食べていて全てが忙しない。香川ではうどんは飲むものだとかテレビで言っているがわからなくもない、つまり流し込んで時間をかけない、それが粋ということかな。うどん屋を後にして金毘羅さんへ向かうが、さすがうどんの県、江戸そばという店が一軒あっただけで、蕎麦屋はおろかラーメン屋すらお目にかからなかった。徹底したうどん崇拝、うどん愛だ。

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帰り際に瀬戸内海の夕日スポットがあるとのことで父母が浜(ちちぶがはま)という鎌倉の由比ヶ浜に似た海岸に足を伸ばした。ここは水鏡の撮影でSNSなんかで話題を呼んでいるらしい。写真は夕方5時頃だが、若干雲がかかり、少し風があったので水鏡も波だってしまった。それでも十分楽しめた。

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それにしても体力勝負の1日だった。でも、なんやかんや、やった感につつまれ心豊かだ。コンビニでサンドイッチを買い、瀬戸大橋を渡り帰路に着いた。来てよかった。

おしまい

2021.10.18

岡山、備中松山城

日本で唯一天守が残ってる山城に登ってきた。雲海に囲まれた天空の城塞で有名な岡山県高梁市が誇る備中松山城だ。登る前に雲海を見ようと数キロ離れた雲海展望台に行ったが雲がなく全体に霞みがかってよく見えない。雲海にお目にかかるには、天気予報と時間が肝心らしい。朝は八時前がいいそうで、いきなり来てもダメ、そりゃそうだと納得。でも、高梁市の街並みはとても綺麗だった。

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そこから車で10分程で登城用のバス停に着く。お城に登るには、松山城がある臥牛山の5合目から8合目辺りまではバスで登り、あと2合が登山だ。その2合を30分ぐらい登るがこれがきつい、ほぼ8割が階段だ。登りは汗だく、帰りは足がガクガク、根性物語、そこまでして登る必要があるのか。三の丸、二の丸、本丸と登り、段々年齢層が若くなる。途中で断念する高齢者も目立つ、今年でオレも仲間入りかとなんか複雑だ。

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天守は、現存する中で一番高いところに位置するらしいがこじんまりしたお城だ。ここに殿様始め何人寝れるかと思うと、篭城の際に困りはしないか、余計な心配をしてしまう。お偉いさん以外は座ったまま寝るのかも。それにこの手のお城は階段が狭くとても急だ。ここも御多分に洩れず人一人しか通れない。なので、上り下りの交通整理が必要。下りは転げ落ちないかと恐怖を感じる、歳も感じる。

それにしても、こんな高い山の上を切り拓きよく建てたものだ。殿は籠か何かで楽チンだろうが足軽はかなわん。足腰が強くないと生死に関わる、ギックリ腰などになったら一貫の終わりだろう。動物がサバンナで足に怪我をして座して死を待つのとあまり変わらない。碌な食事も取っていないだろうし、エネルギー的にも厳しそうだ。増して真夏、真冬などは想像を絶する。現代に生まれてよかったと思うが、今は今で違ったつらさがあるだろうと、そんなことばかり考える。

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この城は鎌倉時代に建ち、それから城主が16回も変わっている。元々は織田側で、その後毛利の手に落ちた。次に関ヶ原で敗れ、幕府の管轄となる。明治の廃城令の時、あまりに高いところにあったため放って置かれたらしく、お陰で何回かの改修を経て現存している。お城も人もラッキーはたまにあるし、勿論逆もある。歴史の偶然って恐ろしい。

ここの本丸には、「さんじゅーろー」という猫城主がいる。ウィキペディアにも掲載されている。以下ウィキペディアより。「さんじゅーろーは2018年、平成30年7月豪雨の直後に備中松山城、三の丸付近で保護されたオス猫でその当時は推定3歳であった。保護された場所が備中松山城でもあり備中松山藩藩士新撰組七番組組長の谷三十郎にちなみ、さんじゅーろーと名付けられた。同年12月16日、備中松山城PR大使に任命され常に同城に常駐している。」

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あの西日本豪雨の被害から逃れようと登って来たのかも知れない。

おしまい

2021.10.16

 

宇治でブログ再開! 

久々のブログ、昨年の2月にアップして以来だ。コロナのせいで、旅が叶わなくなったこともあるが、オレの性格に起因するところが大きい。昔から何をするにも飽き易さが申し訳程度の向上心を邪魔する。典型的なのは読書だ。熱中すると頻繁に本屋に通い、ジャンルを問わず乱読するが、一定期間過ぎるとどうもガソリンが切れるらしい。ガス欠になると、途端に興味を無くし、本など一切手に取らなくなる。脳のキャバが限界になり悲鳴を上げるからだろう、なんとも情けない。ということで御多分に洩れずブログも同様。

でも、この度の再開には理由がある。日頃、本を読まない、会話をしない、物を書かない、つまり考えない。こんな生活に危機感を覚えたからだ。なんらかの手段で脳を活性化させないとやばい、という欲求に駆られたので、一番頭を使いそうな書くことにこだわりブログを再開したというわけだ。

今、兄の3回忌で岡山へ向かう途中、いつものごとく京都に寄っている。緊急事態宣言が解除されているにもかかわらず、酒の提供は20時までなので早めの行動が肝心だ。因みに新幹線の東京駅ホームの売店でビールを売っていないのには閉口した。思わず一本遅らせて在来線の売店まで買い出しに行ってしまったほどだ、要注意。

いつも京都によると東本願寺の縁台に座って庭を眺め、颯爽と飲みに繰り出すのだが、あまりにワンパターンなので、京都に寄ったら今までお目にかかっていない神社仏閣の一つに寄ることにした、これも少しは頭の体操になるだろうと思ってのこと。今回は、宇治の平等院だ。京都駅からJR奈良線で宇治で下車、平等院を拝観後、京阪宇治駅から京都の三条へ、そしていつもの王将というルート。

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宇治は来たことがあるかどうかあまり記憶にない。来たとしても中学校の修学旅行だろう。ここはお茶の産地だがあまり茶畑が見当たらない、それより宇治大橋から望む宇治川は絶景だ、こんなに大きな迫力のある川とは思わなかった。一見に値する。

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平等院を選んだ理由はというと、やはり10円玉。今流行りの渋沢栄一の一万円札もそうだが、日本の宝だから貨幣に使われるわけで、それが現存するのにお目にかからない手はない、日本人なので。

日本の歴史には藤原の姓は欠かせない。中臣鎌足天智天皇から藤原の姓を与えられて以来、天皇に娘を妃に送り込むことで脈々と歴史を刻んできた日本史を理解するのに絶対的アイテムだ。平等院藤原道長の息子の頼通が建てた、今では世界遺産になっている。道長、頼通が築いた藤原絶頂期の栄華の象徴がここ、平等院なのだ。平安、藤原、10円玉という乏しいキーワードしか知識がなくても現場に足を運び本物を見て歴史を感じることで知ったつもりになる。そして、それについて書き、考えることで脳の衰えを防ぐという寸法だ。

今回はここまで。最後にJR東日本がやっている大人の休日倶楽部、ジパングに触れておきたい。オレみたいに浦和、岡山の長距離を行き来しているものにとってはとてもラッキーな商品だ。条件が65歳以上でないと加入できないが、絶対入っておくべき。乗車券、特急券共に3割引になる。岡山へ行く場合は往復を買うと乗車券は4割引にもなる。これはすごいぞ。元々は東日本、北海道が対象だが、西日本その他も年間20回までと条件付きだが対象になる。8月に65歳になったので直ぐに会員になり今回早速使っている。ただし、最初の数回は2割引でそのあと3割になる。それから新幹線はひかりかこだまでないと対象ならないが全く問題なし。いつも帰りはひかりを使っているので。多少の年会費はかかるが絶対お勧め!

何故か、女性は60歳からというのがワケワカメ。

2021.10.7

おしまい

京都丸善本店

今、京都の王将でブログを書いている。王将に来る前、京都に来ると必ず立ち寄る河原町にある丸善に行ってきた。明治2年創業、丸善雄松堂書店の本店だ、今はジュンク堂とコラボしている。日本の近代と共に歩んできた我が国の知の倉庫。新宿の紀伊國屋書店昭和2年だから、東の紀伊國屋西の丸善ってところかな。

ここの丸善は早逝の作家、梶井基次郎の「檸檬」の舞台になっている。地下三階まである書店内を徘徊しているとなんと文庫本コーナー、「檸檬」一色だ。なんでも丸善創業150周年記念のイベントらしい。明治、大正、昭和、平成だ、凄い。でも、ご多分に漏れず開店、閉店を繰り返してのサクセスストーリーだそうだ。

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女子学生らしき二人が何やら話しながら本を手に取っている。それもそのはず、昔「檸檬」は高校の教科書にも掲載されていたらしい。真面目な学生さんはみんな知っている、といってもオレの記憶にはない、さだまさしの「檸檬」から知った。

檸檬」は、主人公の梶井基次郎が大正時代に学生時代を過ごした京都を舞台に、青春ならではの漠たる心の不安を扱っている。著者がたまたま行った丸善で書棚から印象派の画集を徐ろに取り出しそれをうずたかく積み上げる。店員を他所にその積んだ書籍の一番上に行きつけの八百屋で買ったレモン一つをポンと置いて丸善を後にする。印象的な場面だ。想像は加速する、レモンは爆弾だ、今にも爆発する。自らの不安をその爆弾で破壊する。もちろん不安の象徴は丸善丸善は社会の象徴だ。それから自身を蝕む病も対象だったかもしれない。自分がそんな社会や病気に対する不安に飲み込まれないように必死で抗う。恐怖、葛藤、脱走、いろんな思いが不吉な塊として心に重くのし掛かる。そしてそれから想像的に逃避する。誰もが心当たりありだ。

わずか数ページの短編だが、京都の街並みの光と影で青春の光と影を見事に描き出している。オレも京都で学生を5年間やったが、この情景、お見事です。

オレが京都に思いを寄せるのは単に懐古心だけではない。学生の特権である開放感とやがて来る社会の縮図に漠とした不安感を感じながら、楽しくもあり、苦しくもあり、そして心地よくもある。学生時代に経験したそんな交錯した感情がオレを引きつけてやまないからだ。

帰りに「檸檬」、オレの書棚にはすでにあるし、青空文庫でも読めるがまた買ってしまった。ブックカバーが欲しかった。

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おしまい

2020.2.27

京都、蛸薬師河原町東入の王将で

湯島界隈

今年も受験シーズン真っ只中。この時期の合格祈願、日本の風物詩だ。何に祈るかは千差万別。神様、仏様、キリスト様、アッラー様、山神様、でもここは孔子様だ。一度は行きたいと思っていた湯島聖堂へ行ってきた。

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この聖堂、さだまさしの歌「檸檬」の歌詞が浮かぶ。「或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて 君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす」から始まる青春の詩、よく聞いた思い出深い詩だ。この歌を知らなければ多分ここにはきていないと思う。こんな理由で他にも行った場所がある。「飛梅太宰府天満宮、「北の国から富良野、「まほろば」飛火野、歌は思い出を美化してくれる。

ここには孔子を祀ってある。孔子廟は日本にいくつかあるがここのが一番有名だろう。元は江戸時代に建てられたが、明治以降、学問所となり多くの師範学校が同居していたという、そんなことから日本の学校教育発祥の地、たいそうな所だ。つまり孔子様は学問の神様という訳、日本版菅原道真か。

塀で囲まれた敷地には都会の喧騒から一時逃れるにはもってこいの世界。狭いながらも緑がコンパクトに纏まっている。でもいるのはおじさん、おばさんだけで受験生らしき人はいない。孔子儒教だが、手の合わせ方ってどうすんだろ、とりあえず仏式にしておいた。他の人達も100%仏式だった。

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折角なので、本当に菅原道真を祀ってある湯島天神へ足を伸ばした。

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ここは受験生と思しき学生たちでいっぱいだ。絵馬も凄い、チョット覗くとやっぱり高校、大学が多く、医学部、薬学部がまだまだ健在だ。今ハラリの本を読んでいるが、AIにとって変わられる仕事の真っ先に挙げているのが医者とドライバーだ。機会があったらブログに挙げたいと思うが根拠がとても興味深い、多分高い確率でそうなると思う。そんなことを考えながら絵馬を書いている女子学生を見ているとなんか切なくなる。絵馬は自分で書くものと思っていたが、見るとそうでもない。一番目につくのが「母より」だ。本人には内緒できたのかもしれない。

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ここまできたら最後は神田明神。ここの御祭神は三つあるらしいがその一つが平将門命で徳川家康関ヶ原の前に祈願に訪れたとか訪れないとか。団体の観光客が多い、土産物屋も充実していて、結構混んでいる。ここの絵馬も受験合格祈願が多いようだ、家康にあやかってだろう。

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それにしても、徒歩15分圏内に聖堂、神社と三つも近場にあるとどこに祈願していいか迷わないか。あっち立てればこっち立たずで焼き餅を焼かれそうでオレなんか気になってしょうがない。いっそSNSで一斉発信、なんて不謹慎なことを考える。

この辺はあまりご縁がなかったが、こうやって散策していると、何も遠くへ行かずとも日本を十分に感じることができる。まして、遠方から観光に訪れくるぐらいだ。先ずは近場の名所は知っておきたい、今更ながらだが。

帰りに聖橋から神田川を望んだが、聖橋がリニューアル中なのでよく見えなかった。さだまさしはここで「檸檬」の詩の発想が浮かんだ筈だ。表現できることって素晴らしい、羨ましい。

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少し歩き疲れたが、神保町へ廻って梶井基次郎の「檸檬」でも買って帰ろう。

受験生ガンバレ!

おしまい

2020.2.7

神田の喫茶店

前橋

今日、前橋に行ってきた。妻の仕事のイベントの下見に付き合った。久々にマイカーで遠出、真白な富士山を真正面に見ながら外環から関越道を北へ。群馬へは北陸へ行った時に通過したぐらいであまり馴染みがない。群馬といえば、国定忠治木枯し紋次郎中曽根康弘、コンニャクそして温泉。

高速を突っ走り約1時間、やがて右手に薄らと雪を被った赤城山の広大な末広がりが見えてくる。裾野の稜線が素晴らしい、新幹線から見た富士山のもいいがそれ以上になだらかで女性的だ。

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赤城山は、オレの座右の書、深田久弥日本百名山の一山だ。その中にこんな表現がある。「山には、きびしさをもって我々に対するものと、暖かく我々を包容してくれるものと、二種類ある。赤城山は後者のよい代表である。」「見事なのは、のびのびと裾野へ引いた稜線であって、おそらくこれほど大きな根張りは、他に例が少なかろう。しかも、それが少しのわだかまりも渋滞もなく、ゆったりと優美な線で伸びているさまは、胸がすくようである。」オレもそう思う。

反対側には榛名山、その後ろには浅間山そして妙義山、こんな山々に囲まれた環境、羨ましい。恐らくここで生まれた人たちは、喜びの時も悲しみの時も山々へ寄り添って生きてきたんだろうと思う。そんな歴史を赤城山は見てきたのかと思うとなんか暖かくなる。

日本の旅に山は欠かせない。なので最近、山を見ると名前といわれが知りたくなる。幸い、スマホをかざせば教えてくれるアプリがあるので便利だ。昔から山の好きな人はそこに山があるからなんてひたすら登山する。オレは山並みや稜線に惹かれるので遠くから眺めるのが好きだ。だって山へ登るとその雄姿が見えなくなる。

オレの好きな山、国道226号線から見上げる開聞岳函館本線から東に聳える北海道駒ヶ岳富良野線から望む十勝岳そして青空に映える赤城山。群馬を全然知らなかった。山々に囲まれ広大な麓に民家が佇む、とても綺麗なところだ、気に入った。

帰りに折角来たので赤城山の中腹にある赤城神社まで足を伸ばすことにした。こんな時、車は便利だ。ところが、目的達成ならず。登っているが中々着かない、結構距離がある。登る程に積雪の気配、ヤッパリ道路が雪というよりアイスバーンスタッドレスなんか履いていないので嫌な感じ。案の定、前方に車が3台止まっていた。先頭の車がスリップして立ち往生、おじさん一人で格闘している。後ろの2台がそれ尻目に追い越していく。オレもと思ったが滑ってハンドルをもっていかれた、一度止まると怖い。何回かトライしたが無理、万事休すだ。すると後ろの車がオレを見捨てるが如く追い越して行った。瞬間、やったこれで脱出できる。ニュートラルに入れ、坂の傾斜を利用しバックで蛇行運転。ほぼほぼ雪がなくなったところでUターンしことなきを得た。あのおじさん、気になったが致し方ない、JAFにまかそう。

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妻と春にまた来ることを約し赤城山を後にした。

おしまい

2010.2.1

浦和