Cats

久しぶりに妻と映画。正月に「スターウォーズ」を誘われたけど、このシリーズ一度も真面目に観たことなかったので全然興味なし、なのでお断りした。そのかわり洋画より邦画、ジョージ・ルーカスより長渕剛、ということで1月下旬から始まる「太陽の家」を予定していたが、突然24日から公開の「Cats」に変更、まっイッかで観てきた。

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この映画、アメリカで結構酷評されている。キモい、退屈、恐ろしいなどなど。見る前にあまり先入観を入れたくないのでレビューはほどほどにしてまずは映画館へ。 

あらすじは、人間に飼われることを嫌い、自らの力で人生を謳歌しようとする猫たちが集まり舞踏会を開く。その舞踏会、今まで生きてきた悲しみ、苦しみから解放され、新たな人生の再スタートのため天上へ行くことが許されるただ一匹を長老猫が選出する。誰もが登りたい、行くのは俺だ、いや私よ、そんな猫たちが訴えかける。勿論、猫は人間に擬えている。欲あり、驚きあり、優しさありの猫ドラマだ。

前半は進行が目まぐるしく、字幕に追われ動態視力がついていかない、すごく疲れる。ミュージカルは展開が早いので字幕スーパーはいかがなものかと疑問。以前、ジーザス・クライスト・スーパースターのロックミュージカルを見たがそんなに疲れなかった、ヤッパ歳のせいか。

後半、ジェニファー・ハドソンの歌「Memory」から段々引き込まれていった。この歌、バーバラ・ストライザントが40年前に初めて歌った曲で有名。Catsを見てなくてもこの曲みんな知っている。音楽の方が先に人口に膾炙した。オレなんか「追憶」とセットでとても懐かしい。その「Memory」、過去の私は美しかった、思い出よよみがえれ、朝日が昇ればまた新しい一日が始まるという歌詞。新たな人生のスタートを天上で実現するというストーリーと重なっている。ジェニファーの歌、最高だ。

映像はというと、確かに一見「猿の惑星」をイメージしたほど結構強烈。ネズミ、ゴキブリ、なんでもアリだ、それも見方によると気持ち悪さが勝って早く次の場面へなんて思う。そんな中でも、主人公のフランチェスカ・ヘイワードの美しさが際立って全てを帳消にしている。とっても綺麗で可愛い、表現豊かだと感じた。

芸術の鑑賞は難しい、エネルギーがいる。芸術をわかるにはとにかく何回も見ること、その通りだと思う。わからないものをわかろうとするにはまず馴染むことだ。人と同じで芸術も生きてるってことか。そのために何回も何回も、観て、聴いて、触れること。その回数が増え馴染んでくると愛着がわく、そうするとこっちのもの。芸術と意志の疎通が生まれ、その作品が訴えかけているものがわかり、感動につながる。このCatsだって2、3回観ればもっと違う発見や感動があるかも知れない。昔読んだ本を読み返すのに似ている。と思っているだけ。

ミュージカルで感動したのはなんといっても、劇団四季のライオンキング。なので、Catsも劇団四季版を生で見なくっちゃ。

この映画、なんの根拠もないがツェペリンの「天国への階段」のイメージに似ている。Hope song、希望の詩だ。

おしまい

2020.1.25

浦和、パルコ

年頭にあたって(ハラリにハマった)

このお正月「21Lessons」という本を読んだ、ハマってしまった。著者はイスラエル人のハラリという人、ゲイであることをカミングアウトしている。本書にも出てくる。

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情報テクノロジー(IT)とバイオテクノロジーという双子の革命により人間の思考回路はアルゴリズムに支配される、そんな未来が実現する。時間がない、すぐに行動せよ、それにはまず自らがどう生きるかを今すぐに考えること。そのための21のヒントがここにある、ということを発信している本だ。

情報テクノロジーはAIが情報をどんどん取り込んで頭が良くなっていくこと、いわば機械的。一方、バイオテクノロジーは生化学的な脳の研究成果、脳の回路が徐々に解明され、人間の意識まで具現化されていく、いわば人間的。この二つを問題解決の手段であるアルゴリズムが合体させ人間の判断や感情まで先取りする。我々が大きな決断をしなければならない時、あるいは人生で何かに迷った時、アルゴリズムがこうすると最適だよ、と教えてくれる。そうすると自分で考えなくて済むのでとても楽チンだ。

つまりGAFAやBATHがスマホなんかで我々が無意識のうちに提供した個人データと脳の回路を再現したAIで最適な個人の行動様式を本人に先立って判断する、それに我々が従う。こんな社会がもうそこに迫っている。で、我々はどうする、そんな問いかけをしている。

この考え、既視感を感じる。サラリーマン時代、会社という船に揺られながら、人生の大半を生きてきた。船内では、昇進、昇給、異動、上司、部下、喜び、落込み、嫉み、怨み、表彰、懲戒、面従腹背、上意下達、下克上、そんなことが繰り広げられる、これはもうヤバイなんて思うこともある、なんのことはない、いつの間にやら慣れる。少なくとも船を降りるか降ろされるかしなければとりあえず何とか生活していける。運悪く沈没ってこともあるが、その時は船を乗り換えるか陸に上がるかすればいい。

そのかわり大きな代償がある。船に乗るということは、自分の意思を棚上げし、船長以下同じ方向を向いて荒波と戦わなければならない。そのため目標、戦略、判断、すべてを会社が決めてくれ、只々出世と給料のことを考えていればなんとかなる。つまり自分でこれからどうするかいちいち悩まなくても生きていける。順風満帆とはいかないまでも、嵐の時の宜候、取舵、面舵は会社が決めてくれるし、船のメンテだってチャントやってくれる、今のところ年金基金もある。通勤地獄と若干の息苦しさを我慢すれば極楽だ。

でも、そんな受動的な人生を35年以上もやると陸に上がった時にふらついて、どこに向かって歩いていけばいいか皆目見当がつかない。やりたい趣味はあったはずなのになんかが違う、落ち着かない。何故か、自分で自分のことが決められない自分になったから。右へ倣えの教育を経て、左右も上下も前後も会社の手のひらで懸命に働く。やっと解放され、さあ、能動的、率先的、自発的に、と言ったってそんなの無理だろう。

人間は向上心の塊だと思う。少しでも偉くなって少しでも多くのお金を稼ぎたい、家族のことだってあるし、プライドだってある。そのために日々勉強をし、体を鍛え、昨日よりも今日、今日よりも明日と努力する。でもそれは、船の上での話だ。本来人生というものは、船の上は手段で陸が目的のはず、何故か逆転していた。

慣れって本当に怖い。自分の立ち位置とこれからどこへ行こうとしているかを常に持っていないとダメだ。なのでその自分を持つこと、それがあるから陸で自分らしく生きていけるというもんだ。

これから時代、1万年人類が経験してきたことがたかだか300年で劇的に様変わりしてきた。更に進化のスピードは累乗的に速くなる。そんなのついていけっこない。人間が作った社会なのにその社会から人間が置いてきぼりをくう、えらいこっちゃ。人間は自分と外界と二つの世界で考えがちだが、第三の界がある、社会だ。本書の著者ハラリの前作「ホモ・デウス」に書いてあった。国、近隣住民、法律、税金、道徳、AI、みんなそうだ。その社会が歴史を作りその歴史から我々は学んできた。でも今、その社会に飲み込まれそうになっている。

これからは、船長がAIだったり、船自体が無くなったりする時代だ。個人ではどうしていいかわからない、その時AIが魔の手を差しのべてくる。

それに立ち向かうために、少なくとも21のレッスンで見識を広げ、心の胆識を感じておきたい。その過程が人生の道標でもいいのでは。

デジタルネイチャーの落合陽一も言っている「人生一生社会科見学」。

因みに21のヒントは、テクノロジー(幻滅、雇用、自由、平等)、政治(コミュニティ、文明、ナショナリズム、宗教、移民)、絶望と希望(テロ、戦争、謙虚さ、神、世俗主義)、真実(無知、正義、ポスト・トゥルース、SF)、レジデンス(教育、意味、瞑想)の5つに分けられている。

1年かけて深掘りできればいい。年末の成果は21について自分の意見を明確に持つこと、これができていればアルゴリズムに少しは戦えるかも。陸に上がった時に、考える葦が風に揺らめくススキにならないように。上がった後でも決して遅くない、大丈夫だ。いつの時代も日は登る。この写真は沈んでるところだけど。

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以上のことは人間である以上永遠に変わらない、と思ってること自体、変化についていけてない。

今年の目標、21レッスン、ラジオ体操第一毎日、1日1万歩毎日、本50冊読破、ブログ70回UP、株で少し頂く。楽しみだ。

今年も飲むぞ、呑むぞ、のむぞー!

おしまい

2020.1.22

大宮、アカマル屋

 

会津は賊軍か

会津藩は賊軍か、という問題はいろんな見方があると思う。でも、確実なことが一つある。藩主の松平容保会津戦争鶴ヶ城落城の寸前に、自らの命と引き換えに降伏を決断した、領民を大切にする人格者、領民も容保を慕い会津は一枚岩だ。さらに孝明天皇は容保に絶対の信頼を置いており、容保も拝謁に涙したほど。そんな容保をはじめとする会津が朝廷に自ら逆らうことは絶対に有り得ない。

じゃあなぜ、賊軍呼ばわりされたか。

理由は二つ。一つは容保が京都守護職を引き受けたこと。二つは西郷隆盛の術中にはまったこと。

一つ目、容保が気が進まず国元も猛反対したにもかかわらず松平春嶽の説得に屈してしまった。そもそも容保は断ることができない質らしい。容保の人の良さが藩主としての判断を鈍らせた形だ。尊王攘夷運動で混乱している京都を武力で抑えなければならない危機的任務、そんなのやり手はいない。それを「お受け仕る」と受諾したという。ここから会津の苦悩が始まる。

二つ目は、会津と薩摩は手を組み八月十八日の政変で長州の過激派を京都から追放した。でも、その同志である会津を西郷は見限る。西郷の真の目的は幕府を倒し天下を取ることだ。そのためには下関海峡を握る長州との和睦が欠かせないと考えていた。幕府と会津は一心同体で会津は既に利用価値なしとみなし長州に鞍替えする、そして薩長同盟

そのあとはお馴染みの大政奉還、そして鳥羽伏見の戦いで西郷と岩倉が用意した錦旗、会津は自ら「ああ賊軍になった」とたじろいだそうだ。江戸城無血開城を経て戊辰戦争へと続き、白虎隊などの壮絶な悲劇を生む。

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慶喜は自分本位でことあるごとに部下に任せすぐ逃げる。容保は会津の気質が勝って従順にして責任感の塊。こんな慶喜と容保の関係を思うとサラリーマン人生が蘇る。容保からすれば上司である慶喜はとんでもないいい加減な自分さえ良ければいい上司、責任だけ置いて何処へやら。領民からしたら容保はとても優しいイケメン上司。どこまでもついていきたくなるいい上司、でも長期的戦略に欠けるイエスマン、最後は共倒れ。今も昔も変わらない。

結論は、会津は朝廷に刃向かうことはない。まして錦旗など持ち出すなど恐れ多くて思いも及ばない。官軍、賊軍、それ以前の問題だ。でも、勝てば官軍的には禁門の変のように会津官軍、長州賊軍であったりする、つまり見方、考え方で官軍にもなり賊軍にもなるということだ。

残念なのは会津薩長土肥のように志士が出なかったこと。志士にも色々いるが少なくとも会津のように受け身で無策に陥ることはなかっただろう。致命的なのは容保の欠点を補う人材がいなかったことだ。会津ならではの上には絶対に逆らわない教育がそうさせたのかもしれない。

因みに、どうも司馬遼太郎の「竜馬がくる」から多大な影響を受けている。薩長同盟にしても龍馬が自ら仕掛けたと思っていたが、西郷の発案だったようだ。有名な船中八策だって龍馬一人で考えていた感があるが、これも旧幕府が公武合体の上、これからの世直し案で検討していた案がならかの理由で龍馬に流れたという。そう言われれば、あんな時宜に叶った案、一人では考え付かないだろう。小説、ドラマは歴史を歪める。ミーハーな日本には真実など無きに等しい。磐梯山だけが知っている。

上記の説「偽りの明治維新(星亮一著)」に則っている。

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この本読んで又、会津に行きたくなった。

おしまい

2010.1.13

新宿、五十鈴

会津

人生で虹が見れるのは数えるほどだ。こればかりは見たくて見れるものではない、いくつかの条件が重ならないと出てきてくれない。記憶にあるのは何十年前、どこかで見た虹だ。一生出会いがない人もいるかもしれない。その虹にお目にかかった、言葉にできない感動、自然は凄い。

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どこで見たかって、鶴ヶ城のお堀を渡ろうとしていたその時、会津の大空に美しい半円を描いていた。

前から行きたかった会津若松磐梯山の懐で歴史の荒波、半端ない。会津は賊軍、錦の御旗に負け敗者となったが日本の精神的基盤を後世に残した。日本は兎角、敗者にかける惻隠の情を大事にしてきた、なので大河ドラマでもウケがいい。勝負は時の運、負けた方は苦難だが未だにその心意気が受け継がれている、それが会津だ。

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そんな会津の街が鶴ヶ城天守閣から360度一望できる。磐梯山は雲に覆われていたが、白虎隊が自刃した飯盛山はハッキリ見える。あの時若者たちにもう少し鶴ヶ城がハッキリ見えていたらと思うとなんか泣けてくる。

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写真、真正面の雲に覆われているのが磐梯山、右側の白い鉄塔の右の山が飯盛山だ。

今夜は東山温泉、といっても素泊りだ。この温泉街、旅館が多い。でも廃業しているところも結構あって厳しそう。そんな中、素泊り、セルフサービスレスでコスパを利かせ、頑張っている旅館見つけた。それなりにリニューアルを施して客を迎えるがイマイチピントがずれている気がする。でも、昔からの旅館らしく肝心の点は逃さない。シーツの清潔さ、温泉の湯量、そしてなんといっても目の前を流れる清流のせせらぎ。特にお風呂は大満足、貸切だ。マニアは無料で他の宿の温泉巡りだってできる。

さあと、食事に出かけたがコンビニもない山の中なので食べるとこあるの、二軒あった。ネットで調べてそのうちの一軒にお邪魔した。つきだしの松前漬けが絶品、店主の作だ。これなら他もと思いきや、上手い。満足して千鳥足で寂しい山道を帰っていくと熊出没の看板、ほんとかよ。

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来年は年賀状出せるといいなあ、二年ご無沙汰だ。

おしまい

2020.1.9

会津、東山温泉

 

 

京都、木屋町

今、京都の木屋町通りを南から北に、五条から四条へ上がっている。並行して流れる高瀬川の紅葉の赤がとても綺麗だ。ホテルが五条を下った高瀬川沿いなのでチェックインしていつもの四条の王将へ向う途中。因みに京都の地名は南北は下る上る、東西は入る(イル)という。

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木屋町通りの五条と四条の間は閑静で店も料亭みたいなのが多く一見さんお断りの敷居の高い店が連なる。たまに塩ホンモンの店があり、なんか安心する。四条を過ぎると急に盛り場的でとても賑やかだ。

四条木屋町から鴨川にかかる四条大橋を渡って祇園、花見小路に入る一帯は学生時代、バイト先の成り金オーナーによく飲みに連れて行ってもらった場所だ。

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70年代後半、スナックとクラブの中間的なサパークラブが流行った、酒はレミーマルタン。学生などとても行けるところではない、いい経験をさせてもらった。

バイトは仁助っていう屋号のカウンターだけの小さな鍬焼店、オーナーが割烹料理屋の友人からノウハウをもらい見様見真似で始めた店だ。鍬焼きとは鉄板に食材を乗せ、その上から特注の小さな鍬を置いて焼く、要は鍬で蓋をしながら焼く鉄板焼き屋。客の前で焼く担当はオレ、他に料理担当のチーフ、二人で切り盛りしていた。お客さんは祇園や花見小路からくる仕事終わりのサパークラブのホステスさんとその客。つまりオーナーに連れて行ってもらっていた店はそんなホステスさんの勤める店、持ちつ持たれつってとこだ。オーナーには、バイト代よりはるかに高い飲み代を使わせてしまった、更にはお年玉まで。オーナーの心意気か、バブルの成せる技か、いずれにしても感謝。

学生の本分をわきまえずこんなバブリーを経験してきた。が、やがてバブルが弾け、サラリーマン時代は失われた20年へ。普通、キチンだのコンドラチェフだの景気の波は好不況を繰り返えす、だが、バブル崩壊後は中々浮かび上がらない。コンピータというとてつもなく大きな技術革新がありながらだ。

思うに理由は二つ、リーマンショックとさらにバブルのトラウマからか企業がリスクを避ける内部留保だろう。この辺か資本主義が何やらおかしくなってくる。

儲かっているのに末端まで回ってこない。残業はするな、人を減らせ、売り上げを上げろ、そして永遠の目標、対前年比利益増。これじゃ何かを犠牲にしなければできっこない。犠牲は、同僚や部下だったり、家族団欒だったり、健康だったり、心だったりする。自分を殺してうまく立ち回らないとその他大勢になってしまう。パワハラ、セクハラ、鬱、こんな言葉が流行り始めたのはこの頃からだ。

近年、学者により資本主義の終焉が叫ばれている。これが本当なら世紀を跨いだ大きな転換期に我々は生きていることになる。産業革命に端を発し、高度成長から飽食の時代へ、そして格差社会、更にはシンギュラリティ。ポスト資本主義はどんな姿をしている。これからの子供達を考えると心配の種は尽きまじ。

そんなことを考えながら歩いていると、向こうから着物姿の一見艶やかな女性二人が歩いてくる。でも、歩き方がなんかぎこちない。近づくと日本語にあらず。やはり京都は、裾元の乱れを気にしながら内股で歩幅を小さくして歩く日本の女性だ、美しい。

明日は兄の思い出がいっぱいの岡山へ、行きたくない。

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おしまい

2019.12.10

京都、木屋町通

(PRODUCT)RED、知らなかった。

スマホを買い換えた。ここ数日、バッテリーの減りがとてつもなく早くなったので、ソロソロ寿命かなと思い、取り敢えずMobileバッテリーも含めノジマに相談に行ってきた。

今のスマホは会社で使っていたものを譲り受けたアイホン6sでもう4年ぐらい使っている。通常、バッテリーは2年過ぎると劣化が始まるそうでよく持った方らしい。

買い替えの理由はバッテリーだけではない。今のキャリアはauで通信データ量を20ギガで契約し毎月1万円超支払っているが、実際には4ギガ程度しか使っておらず只々auに貢献している。なので、買い替えと同時にキャリアの変更も含めて検討中。

そもそも家族でauを使っているのはオレだけ、妻も娘もドコモ。ドコモは今、家族割で千円割り引くし、使用料が階段状になっていて、毎月の使用料に応じて自動的に階段が移行するので無駄がない。そしてかけ放題、これも今やLINEやメールで事足り電話なんてほとんど使わないし、かけても家族だけだ。更に家族との電話は無料ときている。こんなことをノジマの担当者が教えてくれた。

それにノジマは今、ドコモの契約に力を入れていて、毎週土日はドコモカード加入で割引がある。その割引、前の週の土日の販売成績により金額が変わり、一定の契約数をクリアすると割引額が増え契約を獲得しやすいシステムになっているそうだ。因みに先週は3万円の値引き、今週は5万円だ、これはでかい。

UQやYahooモバイルなんかも考えたが、総額はドコモとあまり変わらない。今はスマホ購入後100日たてばSIMフリーでいつでも変更できるし、今回みたいにau解約時にかかる約13000円なんかも千円で済むので気楽だ。

これでは買わない手はないだろう。若干気になるのが期待の5G。これは実際のところスマホに実用化されるのにはインフラ整備などで2.3年先になるらしい。

即決した。最終的に10万円近くするアイホン11が、割引5万円、下取り5千円、その他でトータル4万3千円で済んだ。月々は今の1万円から3980円(5ギガ、家族割含む、かけ放題なし、留守電なし)。

最後まで迷ったのはアイホンの色だ。本来は7色あるうち在庫が白、黒、赤しか無かった。赤にした、それには訳がある。このアイホン11の赤はいわゆる(PRODUCT)REDと言って、グローバルな企業がこの赤を使い開発した商品を販売し挙げた収益の一部でアフリカのエイズ対策プログラムを支援する仕組み。ロックバンドU2のボノさんらが発起人となり、 2006年にダボス世界経済フォーラムで発表されたらしい。恥ずかしながら今まで知らなかった。

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これまでに、アップル、コカ・コーラスターバックス、ナイキなど名だたるグローバル企業が参加しているそうだが、日本はボランティアでは底力を発揮するが、寄付となるとあまり馴染まないらしい。どちらも人助け、アフリカの子供に薬を買うのはカネによる寄付、洪水に浸かった家から土砂を掻き出すのは体を張ったボランティアだ。

そういえば、ラグビーワールドカップの試合が台風で中止になったカナダチームが被害をあった人達にボランティアをかってでた時は感動した、もちろん対戦相手のナミビアにもだ。

たかだかアイホンの色だが、なんかトキメキがある。そこに来るとユネスコに毎月寄付している妻は凄い、何十年の単位だ、頭が下がる。

おしまい

2019.12.1

浦和PARCO

 

 

上司

今新宿。現役時代のjuniorと飲んでいる、3年ぶりだ。juniorとは後輩のこと、ここではジェー君と呼ぶ。ここは二軒目、金曜日なのでやたらと混んでる、でも、昔は週2日ぐらい通った店、とても懐かしい。

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ジェー君はまだ若い、でも、身体を悪くし退職も考えたそうだが、色々あって今は昔の上司のところで働いている。話を聞くと、その上司、多分ジェー君の性格、気性、仕事ぶり、人間関係、そして何よりもジェー君の気持ちを本当に理解した上で自分の手元に置いていると感じた。なのでジェー君、結構生き生きしている、良かった。

上司も人間だ、自分のことばかりで部下を平気で使い捨てにする上司、自分のことのように心配して家庭環境まで口を出してくる上司、表は優しく裏では冷たい偽善者上司、色々いる。上司たるものどうあるべきか、なんて考えている上司は中々いない。でもジェー君、そんな上司に巡り合ったんだと思う。人生の半分を費やす時間、気持ちに重きを置く上司の元で働ければやる気も出るし、楽しいし、幸せだろう。

逆は大変だ。オレの昔の部下だった奴がいじめにあってるなんて話を聞くと殴り込んで空手チョップだ、がどうしょうもない。ロープ脇で頑張れ、と祈るしかない。

なんかの本に書いてあったことだが、オレが大事にしてきたことがある。嫌な上司を乗り切るための三つの処世術。その一、我慢すること。その二、自分が上司だったら会社をどうしたいか考えること。その三、そのためにただひたすら勉強すること。上司は必ずいなくなる、その時のために知識と気力で武装するというわけだ。

こんなことできるわけねーだろう、おっしゃる通りで中々出来ない。でも、心がけることはできる。それが役に立った。日頃からハウツー本を読み、それを会社に当てはめパワポに落とし込む。結果使わなくても頭に残るし、いざという時の訓練にもなる。

ある時、全社的なプロジェクトが組まれ、トップから明日の会議までに試案を作成するよう部門長に指示が下った。すると部門内で役員含め誰が作成するかで相互監視、同調圧力的な雰囲気が部門内に充満した。それはそうだ、策を考え、それをパワポに落とし込む、そしてプレゼン。あと何時間もない。嫌な感じ。

オレからするともちろん部門内役員が先導を切って何人か招集し徹夜でパワポを作り上げるものと思っていた。ところがドッコイ、その役員、総括的な仕事をしていたオレに明日までに作って会議でプレゼンするようにって言ってきた。会社の行方を左右する重要会議にもかかわらずだ。本当に驚いた。何に驚いたかって、いきなりオレを指名したことではない、役員の役員たる使命がわかっていないことにだ。さっきの上司の上司たる所以を考えていないのと同じ。でも、命令だから仕方ない。

そこで先の心がけに救われた。日頃から溜め込んだパワポを探り当て、分散はしているが纏めれば使える。徹夜はしたが部下の手を借りながらなんとか乗り切った。会議でトップの了解を得た時は本当にホットした、ヤッタ感満載。

それにしても、オレができなかったらどうしたんだろう、不思議だ。オレが役員だったら、一緒にやろうぜ、ぐらいは絶対言ってる。上司たるべきもの、役員たるべきもの、〇〇先生その自覚、全く違います、って言ってやりたいたかったけど上司も人の子、オレも人の子。

上司は当たり外れあり、それはしょうがない。大事なことは、自分が上司になった時どう処するかだけだ。もうそんなこと考える必要もないか、ジャアナクッテ、もっと考えて社会の役に立ちなさい、嫌な声が聞こえてくる。

さて、オレの上司ぶりは何点か。31点、自己31点だけに。

なんやかやで結構な酔っ払い二人。二軒目はジェー君に奢ってもらった。昔の話は楽しい、でも複雑だ。

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おしまい

2019.11.29

新宿、思い出横丁、岐阜屋