幼馴染ゴルフ

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一年半ぶりにゴルフをやった。インドアー2回の練習で臨んだが結果は?、聞かないでほしい。ゴルフって自分の馬鹿さ加減と戦うスポーツだ。普通、何をするのでも事前に頭でシュミレーションして有事に備える。でも、ゴルフはそのシュミレーションから一度外れると元に戻らない、頭に一挙に血がのぼる、穴があったら入りたい、あるじゃん、ボールより先に自分が入ってどうする。つまり馬鹿、どうしょうもないバカだ、多分オレだけ。でも、バカらしくそんな行為を永遠と繰り返す。たかだか遊びが人生脱落者の如く思えてそしてドツボにはまる。でも、ごくたまにいい時はオレって天才、天下とった気分、その時点でドツボに片足を突っ込んでいる。人生そのものだ。因みにドツボとは野壺のことで昔よくあった肥溜めだ。そういえば肥溜めにはまって溺れそうな奴がいたなあ。

そんなわけで岡山県津山駅から車で約30分、奥津ゴルフ倶楽部でプレイした。メンバーは子供の頃、川で泳いだり、肝試しをやったり、夜銛(夜、川で寝ている魚を銛で突いてとる)やったりした幼馴染の親愛なる又従兄弟、二人。とても楽しかった。開始3ホールを終えた時点で、全員今日は練習、そう自分達に言い聞かせた。そう、すでにその時ドツボにはまっていた。天気は最高、コースも最高、メンバーも最高、成績最低、誰しも経験あるだろう。一番の最高は昼食と途中の販売機で買って飲むビール、今日の目的はビールと昔話、目的達成。

奥津は湖あり温泉ありの日本観光地百選にも選ばれている風光明媚な秘境だ。特に温泉は岡山美作三湯のひとつ。この奥津温泉から車で5分のところがゴルフ場、なのでお風呂は温泉と期待したが残念。恐らくここでプレイして夜、奥津温泉のお湯で疲れを取りそして酒盛り、というコースが売りだろう。

幼馴染はとかく「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」で一度離れると再びまみえることは中々ない、それがまみえた。きっかけはそれぞれの親が残した家の整理だ。親は亡くなったり、施設に入っていたりして家の主はどこも不在、必然的に子供たちが一時的に住んだり、度々来て残された犬猫に餌をやったり、草刈りをしたりと結構皆んな大変な目に遭っている。最後は処分することになるがそれが中々簡単ではない。相続の権利関係が複雑だったり、親にこの家は絶やすなと言われた気持ちの整理だったりと中々はかどらない。そんな中での再会。俺たちの世代は長く続いた「家」というものに物理的、精神的に一区切りをつけることが課されている、これが結論だ。やり方は色々だし、ケースもそれぞれ違う、ただ言えることはオレたちの次の世代には残せないということ。時間もお金もかかるだろうがやるしかない、それもチラチラ見え隠れする親の顔を振り切って。

そんなこんなの幼馴染ゴルフだった。でも、子供の時の話で盛り上がるのはとても楽しい。話が尽きず、帰りに津山のビアガーデンまで行ってしまった。最終の津山線で帰ったがなんと21時半、さすがにのどか、早い。
おわり

2018.6.22
岡山県、奥津、津山

地方を元気に!

ビール党に朗報、っていっても岡山県津山のビヤガーデン。

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都会のビアガーデンはビルの屋上でガーデンとは名ばかり、一部明治記念館などを除いて。でも、ここは津山国際ホテルの鶴泉苑という日本庭園、明治記念館より遥かに小振りだが最高。津山城址の入り口にある。

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バイキング、飲み放題、食べ放題、時間気にせずで料金3900円のみ。ビールは機械が注いでくれるやつと自分で入れるのがある。自分でやると泡だらけで悪戦苦闘している人もいるがスタッフがすぐに助けてくれる。ビアガーデンでバイトしたオレにとってはお手のものだ。そんなわけで結構賑わっている、若者も多い。

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津山市は人口10万人の城下町、鳥取との県境に近い盆地で藩主は森忠政、あの森蘭丸の弟だ。きつい階段を登った城址後から津山が360度一望でき、桜、紅葉の名所でもある。残念ながら街の中心部はシャター街化し寂しいイメージだが、でもここのビアガーデンはそんなイメージを払拭、地方再生をイメージさせてくれる。

最近、ネット上で地方再興が盛んに話題になっている。トークンエコノミーというネット上の手法を使った地方の再興だ。トークンとは法定通貨の円に対する代替貨幣のことでいわゆる仮想通貨のこと。その仮想通貨でつくられる経済圏がトークンエコノミーだ。仮想通貨は投機が前面に出ているがこれが本来の使用価値、特に注目なのはICOのいう仮想通貨による資金調達。例えば新事業の立ち上げにトークンである仮想通貨で出資を募り、出資者はその経済圏の中で有利にトークンを使って事業に参加したり利益を享受できる。仮にマクドナルド2というハンバーガー事業を立ち上げるトークンがあるとすると、そのトークンを仮想通貨で買いマクドナルド2経済圏に投資する。出資者はその事業に参画する権利や数々の優遇権が与えられるというわけだ。

なので色々な経済圏ができるし、それを選択するかどうかも自由。必然的に人気のあるプロジェクトには仮想通貨が集まり、そんな経済の塊ができればできるただけその地域も潤う。それに中央政府の干渉を受けない。地方再興のためにあるような仕組みだ。

それがなんと岡山にもそんなトークンエコノミーを使って地域活性化しようとしている村がある。人口1500人の西栗倉村、日本初の地方自治体によるICOを実施すると発表した。林業や移住起業支援のため国の交付金に頼らない地域活性化だ。現在は規制が多く立ちはだかっているようだが、岡山も捨てたものではない。西栗倉村、応援するぞ、トークン絶対買うぞ!

仮想通貨、ブロックチェーンICOって言葉、まだまだ馴染みが薄い。なんでそんなのいるの、よくわかんない、誰かがやってる、関係ない。でも、放っておくと知らないところで頭のいい人、知の集団、さらにはどこそこの国に操られている自分さえ気がつかないことになりかねない、というか、いつか来た道だ。少しは耳をダンボにしよう、懐かしい!

ジョッキの冷えた生ビールは美味い、中ジョッキ8杯は飲んだかな、極楽、極楽。
しまった、セカンドバック忘れた!
おわり

2018.6.19
岡山県津山市

 

森田童子が亡くなった。

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森田童子が死んじゃった。オレの学生時代をセピア色に染めてくれる心の友だ。

オレが社会人になった2年後に活動を休止したことも懐かしい気持ちに拍車をかける。

その後、テレビの主題歌でつかわれたことがあるが、オレの感情とは程遠い。

心に残るとは、社会、時代、場所、年齢そして人、環境に大きく影響される。二度と訪れない多感な時代に感じたことは、そのまま心の奥底にしまい、たまに引っ張り出しては昔に浸る、とっても幸せな瞬間だ。

齢とともに色んなことを忘れて行く中で、墓場まで持っていく心の要石はいくつもない。そのうちの一つが森田童子の歌だ、ありがとう。

 

 

京都、嵯峨野にいってきた。

京都、懐かしのスナック「ヒスイ」へ行く前に五木寛之の百寺巡礼の百寺のひとつ嵯峨野二尊院に行ってきた。

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百人一首小倉あんで有名な小倉山にある、読んで字のごとく本尊が「阿弥陀如来」「釈迦如来」の二つの珍しい山寺だ。仏教で極楽浄土へ行くのに現世から送ってくれるのが釈迦如来で彼岸へ迎えてくれるのが阿弥陀如来、大変有難い仏様たちだ。

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法然上人由来の院で教科書なんかでお馴染みの御影がある。

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それから紅葉でも有名。

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本堂の縁側に座って庭を眺めると何とも落ち着く、半袖ポロシャツ、晴れ。

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近くに世界遺産天龍寺があるが修学旅行生とインバウンドで人の山、マイナーなお寺がいい。

先にも触れたが、小倉山は定家が百人一首を選んだと言われているところ。この間、生まれて初めて百人一首田辺聖子の解説を読んだ。知っていたのはわずかで我ながら教養のなさに落ち込む。親のせいにするわけではないが、家に百人一首のカルタがあるとか、本があるとか、そういう環境って大切だ。子供が生まれたらそんな家庭を築きたいと思っていたが遅かりし、孫の代には必ず、その時はAIの出番か。和歌は日本人の心、そういえば、オレの下宿の便所に大家さんが短冊を貼っていた「急ぐとも心静かに中へ小便、吉野の花も散るぞ見苦し」。

帰りに今話題の「竹林の小径」を通って帰った。上を見上げるととても綺麗だ、

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でも下を見ると、

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これが現実、何も言えねえ!

2018.5.20
京都、嵯峨野

37年ぶりに先輩にあった。

京都の学生時代お世話になった先輩に37年ぶりにあった。先輩といっても同じ大学の先輩ではない。当時の大学生の下宿なんてものはどこの大学だかわからないやつが入り乱れていてさながら10軒長屋20軒長屋の感だ。木造アパートの四畳半に自然と人が集まってくる、酒盛りが始まる、話は吉本隆明埴谷雄高岡林信康成田闘争。必然的に友達の友達、またその友達の友達が友達だったりする。先輩も知り合いの知り合いの知り合いで5歳年上の6回生、オレの周りはそんな人が何故か多かった、ひとり遅れてきた青年。

37年ぶりとなるとさすがに先輩も別人、でも懐かしい話に花が咲くと段々とタイムスリップして学生に戻った。大変頭のいい人で芥川賞を目指した本の虫、下宿は寝るところに困るほど本だらけ、さながら古本屋、でもオレにとっては知の巣窟ってとこかな。文学書だったか、哲学書だったか分厚い本からおもむろに一万円札を取り出してよく飲みに連れて行ってもらったものだ。

当時先輩とよく行っていたスナックがある、出町柳から叡電でひとつ目、元田中から徒歩3分、「ヒスイ」っていうスナック。さすがにもう無くなっていたと思っていたが、ところが今回ネットで検索したらヒットした、あまりの懐かしさから行ってみた。

「ヒスイ」は住宅街にポツンと目立たなく存在する、想い出の詰まった店だ。

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開店前に無理やり入れてもらった。マスターは先輩のことをよく覚えていて、というより元々先輩の店、オレのことも段々と思い出してくれた。ママはあまり元気がなかった、食事、化粧の開店前ルーチンをオレが壊したからかもしれない。マスターが言っていたが、最近のお客は何十年ぶりが多くなっているそうだ。現にオレがいた時も40年ぶりという人が来て一曲歌って帰った。ジェームディーンのポスターが人生の半分程の時の流れを感じさせる。

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先輩は京都に10年いたそうだ。大学にもよるが休学制度を使うと12年在学できるそうだが、大学より京都に魅せられた一人だろう、人のことは言えぬ。京都には魔物が住んでいる、というより学生に優しすぎる。学生時代を京都で過ごしたオレらにとってその優しさが京都を離れられない理由かも。

その後、先輩は実家の農業を継がれて、今、米とネギを作っている。何と、30年前に酒を辞めたそうだ、一緒に飲みたかった。でもタバコは健在だ、吉本淳之介ばりの吸い方、カッコいい。時代に勝ったか、負けたか、それとも流されたか、今となってはそんなのどうでもいい、オレの大切な先輩であることに変わりはない。

2018.5.20
京都

 

新宿の美術館で、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンそしてターナー。

超有名な画家の作品がこんなに身近に見れるとは。新宿の東郷青児記念・損保ジャパン日本興亜美術館、新宿高層ビル群の42階にある、天空の美術館だ。セザンヌゴッホゴーギャン、ポスト印象派の三巨匠の作品が一幅ずつ常設展示してある。でも、見るには企画展とセット、ここのシステムらしい。

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今やっている企画展は、イギリスの画家、ターナー。イギリスは絵画後進国といわれていたがターナーは西洋風景画の巨匠だろう。時は、主観的、感情的な表現を重んじるロマン主義の時代、近代の始まりだ。

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ターナーのコンセプトは「崇高」、と言ってもよく分からない。自然への敬虔な気持ちを感情表現することだそうだ。何十幅もの絵画を見たが初めはうまい、繊細、綺麗の連発だが、段々どれも同じに見えてきた、自然と足が早まる。でも、オレみたいな美術初心者には風景画は単純に綺麗だと思う、この感情が大切。

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ターナーを見尽くした後、最後のブースにお目当ての三幅、すごい迫力。こんな感じ!

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壁に向かって左からリンゴ、ヒマワリ、アリスカンが描かれている、セザンヌゴッホゴーギャンの順。アリスカンって何だ、古代ローマの遺跡。一番心が動いたのはやはりセザンヌのリンゴだ、歴史を変えた絵画。

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それまでの絵画の世界で常識とされてきた遠近法などの画法に挑んだ革命的作品、この作品が無ければピカソの「あっち向いてホイ」は生まれていない。ピカソのは右を向いた顔、左を向いた顔、後ろから見た顔がひとつ絵に混在しているがセザンヌのリンゴも一つひとつが違った表情で別々に描いたものを貼り付けたような感じだ。「人には人の乳酸菌」と同じで顔もリンゴも各々が主張している。人の数だけ意見がある、人と意見がぶつかって落ち込んだりした時はセザンヌを見よう。先人からの暖かいメッセージだ。

ターナーは「私は今から無に還る」って言って76歳で亡くなったそうだ。死後の世界はわからないがこの言葉はカッコいい、でも、お袋のはもっとカッチョいい、「わたしゃもう死んどる」。

2018.4.26
新宿

「これ絶対面白い」という本に出会った。

本屋でブラブラしていると、「これ絶対面白い」という本に出会うときがある。そんな本に出会った。

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通称バッタ博士と言われている前野ウルド浩太郎氏という昆虫学者の「バッタを倒しにアフリカへ」という本で2018年度の新書大賞を取っている。

著者は学者として進路を決めるときに大いに悩む。アフリカ西部のモーリタニアという国でサバクトビバッタというイナゴに似たバッタが大量発生して農作物を食い散らし大飢饉を招くことが問題化していた。その時、真のバッタ研究者になるには現場に行き戦いを挑むか、日本での安定をとるかの選択を強いられる。

人生には勝負する時がある、今がその時だ、と決断し片道切符を手にアフリカンドリームに夢をかけるというノンフィクションだ。

研究者としての大成、同時にアフリカの救済のために日々バッタと向き合い苦難と戦い挫折しかける、しかし周りの取り巻きが放っておかない。著者の人となりが周りの協力を呼び、結果目的が叶う、というか半分叶うと言ったほうがいいか。

著者の人柄を伝えるエピソードが書かれている。砂漠の深夜2時、宿営地の仲間は寝静まっている。一つでも多くの発見をするため単身バッタを求め夜の砂漠へ。2キロほど歩いたところで痛恨の一撃、サソリに刺される。誰も頼れず段々痛みが増す足を引きずりながら、宿営地へ。

サソリの知識は皆無、死をも覚悟しやっとのことで宿営地にたどり着いた。でも、皆を起こして大騒ぎになったらどうしょうと遠慮して朝まで耐える。朝皆からなんで起こさなかったんだ、と怒られる。そんな著者の本人が言う「シャイな性格」が人を寄せ付ける。オレなら大騒ぎだ、そこが違う。

この物語は、夢への執念、著者の人柄、仲間の思いやり、この3つだろう。歯切れのいい文章で、勇気が貰える一冊だ。

おわり

2018.4.12
さいたま