「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川、、、」
8時16分発宇都宮行き、2分遅れで浦和駅を出発、一路福島へ。目的は二本松にある智恵子記念館と智恵子の生家から阿多多羅山と阿武隈川を望むこと。高村光太郎の「智恵子抄、樹下の二人」にある詩の風景を再現するためだ。前から行ってみたかったところ。それから福島はあまりご縁がなかったので福島駅周辺を散策し、いつもの如く飲み屋を求めて、むしろこちらの方が主目的。
福島はそんなに遠くない、宇都宮、黒磯、郡山、福島で浦和から途中茨城県を抜けて東北本線で一本、各駅停車で4時間ぐらい。はじめに福島の手前、安達で下車し智恵子記念館へ。
ただ、今回は宿泊先を決めていない行き当たりばったりの旅。折角福島まで行くんならもう少し足を伸ばして会津若松や芭蕉で有名な山寺までなんて考えたが、あれもコレもは性格に合わない、というか疲れる。
安達駅周辺は閑散としている。バス停も見当たらない。駅で入手したパンフに地図が載っていたのでそれを頼りに向かった。
途中、道に迷いながらも30分程で智恵子の生家と記念館に到着。生家は裕福な酒蔵で智恵子はなに不自由なく育ったらしい。
でも、智恵子が光太郎と交際している時に商売が斜陽になりその頃から智恵子が精神を病むようになる。それを光太郎が労わる、情熱的なラブストーリーだ。
造りは昔ながらの家だ。家に入ると三和土があり、キッチンは土間、座敷は奥の間、納戸と円状に配置してある。保存具合も素晴らしい。子供の頃怒られながら鬼ごっこでグルグル回ったのが懐かしい。
記念館は生家に隣接していて智恵子と光太郎の人生をコンパクトにまとめてある。平塚らいてうの青鞜の初版が展示してあった。
表紙のイラストを描いたのが当時画家を目指していた智恵子だ、知らなかった。女性解放運動の先陣を切った女性達と一緒の写真があった。智恵子の詩を読めばその気の強さが際立っているので、成る程と思わずにいられない。それから本当に驚いたのは智恵子が恩師宛の手紙だ。凄い達筆、素晴らしい書体、気が強く頭のいい女性の心のこもった筆跡だ、それも若干16歳の時のもの、何時間見ていても飽きない。昔の教育の賜物だ。
いきなり気勢を削がれた、階段が凄い。登った先の神社でお参りし、更に石段を登る、するととても気持ちのいい森の中、緑のシャワーを浴びながらまた階段、思わずシャツ一枚になり、更に階段。
この辺は紫陽花が多い、季節外れの一輪が咲いていた。
やっと目的の地に到着、確かなことは二人しかわからないが恐らくここが樹下の二人の樹下。この樹の下から二人で阿多多羅山や阿武隈川を眺めながら優しくそして悲しい時を過ごす。情景が浮かぶようだ。
ところが、曇っていて阿多多羅山が裾野しか見えない、阿武隈川もどこを流れているのかわからない。しょうがないので展望台に登るもやはり見えやない、ショック。
目的果たせず、でも記念館で智恵子の素顔が見えたので良しとしょう。智恵子の写真と他3点買って又もや歩いて安達駅へ。途中、智恵子の菩提樹に立ち寄るが足がガタガタなので申し訳程度にお参り。このお寺、かの武蔵坊弁慶が義経とともに平泉に逃れる途中に立ち寄り食事をご馳走になったらしい。そのお礼に弁慶が満福寺と名付けたそうだ。由緒あるお寺だ。
更に歩く、スマホで電車の出発時間を検索すると後15分、それを逃すと1時間待ち、これはいかんと何年振りかに本気で走った。これは参った、でも、ビール美味いぞ。
福島到着、電車の中で予約したホテルに向かう、これがまた駅から遠い。とても古いホテルだが浴場、夕食、朝食付きと差別化を図っている。
チェックインして第一の目的、飲み屋を散策。目安をつけていたのがやっていなかったので、違う店を探していたら1時間飲み放題800円で出ていたのでこれはいけると早速お邪魔した。入って、飲み放題と言ったらうちは飲み放題はやってないと言われた。あっ、そうですかととり乱すことなく単品生ビールを頼んだ。内心おかしいと思いながら飲んでいると、どうも隣の店の看板を見たらしい、恥ずかしながら店の人に聞いたら案の定、仕方なくそのままそこで飲んだ。
その店、キンミヤ専門店、メニューにガリ酎ハイ、元祖下町割り、なんてのがあった、前者は寿司のガリとキンミヤ、後者はキンミヤの水割りだそうだ。飲んだのは、下町ハイボール、キンミヤの炭酸割り、要は酎ハイだ。冒険に弱い。
ほろ酔いになったので、コンビニでビールとつまみを買いホテルに戻った。夕食のカレーを食し、その後部屋飲みで1日目終了。天気予報を見てたら明日は晴れ模様。阿多多羅山、再チャレンジだ。
つづく
2019.9.5
福島