もうひとつの高校野球1

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何かがおかしい、若者を取り巻くスポーツ環境だ。記念すべき100回目を迎えた高校野球大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた。高校野球は感動を呼ぶ夏の風物詩、終戦記念日の黙祷も毎年目にするところだ。一方でマスコミの報道はエスカレートし、甲子園が聖域化され、球児にはプロの登竜門。若者は東大に入るが如く頂点を目指し、スーパースターを夢見る。家族はのめり込み、学校は必勝を監督に託す。監督は成績如何で進退にも影響するので勝つために算段し手段を選ばなくなる。さらにトーナメント、サドンデスの制度が拍車をかける、一発勝負だ。予選から万が一を考え、優秀な投手が必然と連投する。結果想像絶する投球数、肘に違和感、靭帯損傷、今後の野球人生に重大な影響を及ぼす。仮にプロに進んでもその負荷は地雷と隣り合わせだ、徐々に身体を蝕んで行く。当たり前だ、人間はサイボーグじゃない。結果野球で生きて行くはずがあまりに早い第二の人生へ。何が悪い、決まってる大人の責任だ、こんなことが書いてある本に出会った。「甲子園の病」氏原英明著、新潮新書から最近出た。

著者は言う。日本にはプレイヤーズ・ファーストがない。今年からタイブーク制度が導入されたが、これにしても延長引き分け再試合の増加という運営上の問題として捉えている。球児の健康面の配慮を第一義としての決定ではない、将来ある若者をいかにして育てていくか本来の大人の役割を果たしていない。常軌を逸した投球数、史上何番のホームラン本数、マスコミ受けする話題ばかりが取り上げられ、見るものを熱狂させる。本来の健康的、教育的観点を蔑ろにする勝利至上主義、「壊れる投手、怒鳴る監督、酷暑の日程、考えない選手・・・このままでいいのか?」
つづく

2018.819
浦和