芥川賞

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年に二回、文藝春秋芥川賞受賞作が全文掲載される。毎回買って読むがその読後感、いつも期待はずれ、というより頭がついていかない。なので途中でやめてしまうこともしばしばだ。その度読解力の無さに落ち込むが今回の受賞作「送り火」は最後の一コマ手前まで引き込まれた、理由は描写力。

ストーリーは津軽地方の山間集落の中学校に父親の転勤で転校してきた歩という3年生が主人公。3年生12人の内、歩を含め6人の物語だ。集まれば燕雀という花札の勝負で負けを一人選び罰ゲームが始まる。その罰ゲームは、回転盤、角力、透明人間、彼岸様、そしてサーカスへ、悪質で危険、生死にかかわるものに徐々に暴力化する。そんな中、晃というリーダー格が燕雀でいつも胴元をやりイカサマをする。標的になったのが稔という少年だ、負けはいつも稔。伝統ある悪がきの儀式という大義名分に何故かみんな拘束される。

卒業間近、そんな罰ゲームを先輩格の卒業生が仕切きる場面、晃も歩も稔も従うしかない。ここでも稔が罰の対象となり、踏鋤という鋭利な農具を使ったゲームで血みどろにされる。さすがにこのままでは殺されると稔は逆ギレし、持っていた刃物で反撃に出る。初めは仕切っている卒業生が一人犠牲になり、次の反撃の対象がいつも陥れられていた晃と思っていたところ歩本人に襲いかかり歩は何故自分なのかと手足に深傷を負いながら懸命に逃げる、そして意識を失う。朦朧としながらもふと気がつくと藁人形が三つ並べられ順番に火がつけられていた。それは藁人形ではなく人間か、というところでいきなり終わる。

青森のリアルな自然、思春期の仲間と暴力、転校生が仲間に溶け込んで行く過程、そんな情景を見事に描き出している。特に山、川、道祖神田圃、畦道、稲穂、農家の蔵、農具、祭り、光の陰り、木造校舎、田舎の自然と生活感が行間から滲み出す。作者が青森出身ということもあるが実体験がないと中々書けないし、読む側もそんな環境を経験しているかどうかで感じ方も変わる。他にも、集落一帯の景色、茅葺き屋根の老婆との触れ合い、蝉の幼虫から成虫へ、リアルな表現が際立っている。

でも冒頭で一コマ手前って書いたけど、最後に「つづく」としたほうがいいくらい突如として終わっている。もう少しオチというか納得感が欲しかった。でも文学、特に純文学ってこんなもんだろう。考えてわかるものではなく感じろということだ。そもそも作者が苦労して一言ひとこと言葉を選び、何かを表現しようと足掻いて作品化したものをたかだか一回読んでわかろうとすること自体おこがましい。特にオレみたいな読解力にハンデのある奴には尚更だ。感じられなければ感じられるまで何回も読む、これが大切、芸術一般にいえることだ。

それから感じ方も千差万別、なので書評を読んでいる方が面白いこともある。以前の石原慎太郎氏の書評は辛口で痛快だったが選考委員を引退した、残念だ。

もしこの小説にテーマがあるとすればなんだろう。「度胸試し、殺意なき殺意、自然と人間、視点によって様々だが閉鎖された環境で育った若者達のエネルギーが暴力って形で発散する、ってとこか。読後感、80パーセント!
おしまい

2018.8.20
神戸から東京へ向かう東海道線