ニムロッド

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芥川賞受賞作「ニムロッド」を読んだ。面白かった。会社から仮想通貨のマイニングを任された会社員と 、鬱になった同僚そして証券会社のエリートである恋人が交錯しながらそれぞれの「存在」を繰り広げていく。

作者の意図がどうあれ、この小説の根底に流れているのは資本主義の行き詰まり感だろう。作中にも二度ほど資本主義という言葉が出てくる。永遠と対前年利益増を死守するため人は懸命に働いてきた。結果、生活も一定の水準まで達し、科学技術も進歩しあらゆる利便性を享受している。でも、そこには多くの犠牲を伴ったことも事実だ。環境、家族、友達、そして心。自分のやってきたことに疑問符がつく、更にAIという未知の波。

目の前のことで精一杯、それをクリアすることで満足感を覚え、生活のために懸命に働く、そして気がつくとなんのために生きてきたか実感が湧かなくなる、そう、手段の目的化だ。つまり人間が自ら作った仕組みに慣らされ、慣らされていることにすら気づかない。そのことをわからないまま死ぬ奴、気がついていても流される奴、なんとかしょうともがく奴、色々な人生がある。

仮想通貨にしても証券会社にしても人が作ったシステムだ。これらは全てAIが絡む。24時間人間の作ったデータが一人歩きする、一瞬の出来事で価格は暴騰し、逆に暴落すれば無に等しい。ビットコインでも証券でもなんでも同じ、それで浮き沈みする。

この小説で感じたもの、資本主義の最後、ポスト資本主義、そして資本主義の恐怖だ。

同じ文藝春秋に掲載されている養老孟司氏の「AI無脳論」の中に「一度、お金と労力を投資してシステム化してしまうと、慣性が大きくなってしまい後戻りはできない」と書いている。資本主義の名の下、正に人間が人間のシステムに慣らされ人間で無くなる。「そんなことわかってんジャン」なんて思っているが、ドッコイわかっていながら具体的対策を施さない、これぞ日本人のニヒリズム(片山杜秀「平成精神史」)、先延ばしだ。オレの人生、多分に心当たりアリ。

先の養老孟司先生が言っていた。AIに勝つためにはどうするか、芸術に勤しむこととヤバくなったらコンセントを抜くこと。

なんだ、簡単だ!

おしまい

 

2019.2.12
浦和