総裁選を受けて

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自民党総裁選、安倍三選で落ち着いた。石破元幹事長が善戦したことで一時的に株価が下落したそうだ、少なくとも経済界的には安倍継続への期待は大きい、でも、今回の目玉は憲法改正だろう。ところで、色々な報道が日々否応無しに飛び込んで来る昨今、聞く側はその内容を自覚的に把握し、自らの立ち位置を明確にしているかと問われれば甚だ心許ない。そんな中、憲法改正国民投票なので日本国民として真価が問われる。

なるほど日本は議会制民主主義で自らの意思を代表者に委ね間接的に政治に参加している。でも、憲法改正だけは一部の自治を除いて国民投票が行われる。よく考えると一生に一度あるかないかの一大事だ。各種報道でこれほど憲法改正が取りざたされる中、果たして国民の一人としてその重みを感じ十分に準備できているだろうか。

通常我々は選挙で議員を選出し政を信託する。ということは自分がこの国をこうしたいああしたいということがなければまず選べない。なんとなくあの人感じがいいから一票、この党なら無難で一票、ってことになる。そこには主義主張は無く、単なる祭り事に過ぎない。つまり我々自身が国民として一定レベルの知識、知恵そして意思を持っていないと議員も選べないし、まして国民投票など無実だ。本来の民主主義の根幹にかかわる。ノンポリでは国の行く末などあったものでは無い。

知っての通り日本の投票率は先進国で格段に低い。一説には教育の問題として取り上げられるが確かに一因だ。大学までは詰め込み教育、サラリーマン時代は社是、常に受け身だ。ここには自分の意思など無くても十分生きていける、というより流れていける。流されることに違和感を抱くどころか心地いい。そんな社会に一票の重みは絶対に育まれない。

今回の安倍首相の憲法改正はそんな我々に国家、民主主義、間接民主制、憲法戦争放棄の歴史的背景など政治全般への関心度を高めるキッカケになるといい。勿論、なぜこんなに日本の投票率は低いのかを含めてだ。それには民主主義の生い立ちから理解する必要がありそうだ、今後ブログで折々触れていきたい。憲法は改正如何にかかわらず、一度皆んなで考えることは大切だ、ポピュリストに席巻されないためにも。

2018.9.21
安倍三選が決まって
稲刈り真っ盛りの秋の岡山