破天荒な編集者

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最近、ミレニアル世代の若者の活躍が目立つ。ホリエモン、落合陽一、佐藤航陽などの人達だ(ホリエモンはちょっと違うか)。書店に行くとその著作が派手に平積みされどれも売れ筋だ。ついこの間これらの本の編集を手がけた箕輪厚介の「死ぬこと以外かすり傷」という本がでた。帯に「今、若者はチャンスだ。古い世代にはわけの分からない変化が今まさに起こり始めている」更に前書きには「おっさんの言うことはすべてきかなくていい」なんて言葉が目に止まった。さすがに買って読んだ。

内容は破天荒ともいえる著者が「編集者」という仕事に出会って本来持っていた才能が開花し時流にマッチ、そんな成功物語、 水を得た魚編だ。でもそこには今まで蓄えてきた自分なりの葛藤と知恵の蓄積があり満を持して爆発した感じ。結果、時代と仲間たちの後押しが手伝って出版界最先端を行く寵児になった。要点は二つ。AI時代に生きる若者たちへの著者からのメッセージ、もうひとつが編集者という仕事についてだ。

前者はホリエモン他売れっ子が書いているものとほぼ同感覚、時代の変化に「何々せよ!」的なメッセージ。後者は編集という仕事の強みを書いている。オレの身近にも編集者がいるので、成る程って思ったところをピックアップして書いておきたい。

その前に著者の人となりを若干触れておくと、大学卒業後、出版社に就職し、取引先と時間稼ぎの打ち合わせをして直帰し飲みに行く日々、サッカーで負けても自分が入れた1点で満足する。オレも同感、そんな人間らしさが編集という仕事に巡り合う、本人曰く「編集者にはまった」。

著者は言う。この出版不況の中、編集者という仕事自体が今の時代に求められている能力を培うためにベストな職種だ、理由は3つ。
①一冊の本の作成を通じて一番成長するのが編集者、読むより作る方が身体に著者のエッセンスが染み込む。なので著者の才能を吸収できる。
②読者が心を動かされるストーリーを自在に作れる。二足三文のものを数万円で売るストーリーだ。というより読者がいかに感動するか、著者に気を使うのでなく読者に気を使う。
③マスにヒットするコンテンツというのは突き詰めると特定の誰か一人に鮮烈に突き刺さるものだ。個人的に作ったものが結果的にマスに広がっていく、そんなチャンスに恵まれている。

読者が絶対読みたいものを作る、熱狂だ。その熱狂が独りよがりにならず、わかりやすくストーリー化し、そして誰かの心を動かし多くの読者の獲得へ。結果著者の能力を吸収し知らず知らずに自らが成長する。AI時代に最強の人間的な仕事、強い。

帯のキャッチコピーにまんまとハマってやった、新しい世代を応援している「おっさん」もいるんだぞ!
おしまい

2018.8.31
浦和

 

元上司Tさんと飲んだ。

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久々に元上司Tさんと飲んだ。場所は西荻窪、南口から徒歩30秒「戎(えびす)」って焼鳥屋。中央線沿線は昭和を感じさせるレトロな飲み屋が多い、なので前から狙っていた。そんな飲み屋にモツ焼きは欠かせない。塩でタン、カシラ、コブクロそしてレバーとカワはタレに限る、うまい。飲み物はもちろん生ビールから酎ハイ、黒ビールそしてワインへ、ワインは店独自の直輸入らしくとても美味しかった。この店構えは新宿の思い出横丁を彷彿とさせる。とば口で白髪白髭のじいさんが一人しんみりポン酒を飲んでいる、常温、注ぎこぼし、なんとも言えぬ風情、額縁に入れ飾っておきたいスナップショットだ。

話題は元いた会社の誰それ、実家の草刈り、初盆の風習、マンションの理事会、などなど。久々の情報交換は熱が入る。最後に自分のことはさておき、Tさんが埋もれているのはもったいない、ボランティアでも何でもいい、Tさんの人柄を生かせる何か、考えよう!でこの場は御開き。

帰りに隣の吉祥寺で餃子をと勇んで行ったが夏休みで休業中、残念。方針変更で老舗ホープ軒でラーメン、何とビールをおいていない、考えられない、でも、懐かしい味だ。大塚にもあるが聞いたら同系列とのこと。話はさて置きただ黙々と完食、満足、満足。

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吉祥寺のこの一帯は新旧のお店や酒場がうまく同居している。アーケードは買い物で賑わい、横筋に入ると赤提灯、街並みを設計した人は人情味溢れる酒好きの人に違いない。f:id:matsunari812:20180829162826j:image

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今、渋谷を盛んに再開発しているが超老舗「富士屋」が10月に閉店するという、何と嘆かわしい。街は開発だけではダメだろう、戦うサラリーマンの居場所は絶対必要だ。

そんなこんなで楽しい酒盛りだった。再開を楽しみにバイバイした。
おしまい

2018.8.28
西荻窪、吉祥寺

もうひとつの高校野球3

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毎回高校野球を見ると自らの部活を思い出す。オレは団体競技が嫌いなので陸上だ。同期が一人辞め、二人辞めして行く中、辞めると今後何をやっても長続きしないと信じ、ただそれだけのために続けた。入部して感じたのは序列化、たかだか一年早く生まれただけでなんでこんなに偉そうなの、頭丸坊主、コンチャース、パシリ、でも入ったからには根性。成績はというと何をやっても中途半端な同期の4人でリレーチームを組んだ、これが当たり。お互い切磋琢磨しながら一定の成果を得た。一番早くなりたい、負けたくない、勝った時の喜び、負けた奴の気持ち、色んな感情が交錯する中、仲間意識が醸成される。なので達成感は凄くあった。個人競技でなくリレーチームだったから尚更協調性が育ち社会に出て役立ったとも思う。帰宅組が帰った後、グランドの整備を終え部室に向かう、校内放送で「シバの女王」と「エーゲ海の真珠」が流れる。何故か3年間同じ曲だったような気がするが、この曲がオレの高校時代を包み込んでくれている。放送部の人に感謝。今思うとその3年間がオレの骨格になっている。高校に聖域は必要ない。なんでもいい、部活に所属し、辛くて泣き、もうやめようと毎日思い、仲間と助け合い、気がつくと3年間が過ぎる。何も目立つ必要はない、続けること、だだそれだけでいい。 心の片隅にきっと輝く何かが育っている。それが社会でどんな形にせよ役立つ時が必ず来る。高校ってそういうところだったはずだ、そこには大人の入る余地はない。そんなことも知らず青春をビジネスにする大人達のなんと多いことか。

おしまい

2018.8.26

浦和

もうひとつの高校野球2

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勝つことが第一、星稜の松井の5敬遠が象徴的だ。選手自身は、勝負したい、打ちたい、投げ勝ちたい、そのために苦しい練習に耐えてきたのに何故。監督の一声で一瞬の夏が奪われた、「敬遠」。勝つためだしょうがない、どこか相撲で横綱が立会に変化するのと似ている。でも横綱はプロ、松井達はアマだ、単なる高校の部活動のお披露目だろう。甲子園勝利監督、凱旋パレード、そんな大人の打算が何かを狂わす。

先日テレビで松井5敬遠の時の同窓会をやっていた。涙無くして見れない、これからの人生に期待を膨らませる高校時代のはずが心の底に傷を負う、それほど甲子園は若者の人生を狂わしていた。それぞれのメンバーの思いは複雑だ。敬遠が取りざたされているが、その影で自分が打っていれば、あの時ミスしていなければ、それぞれが自分を責める。あの清原が何かにコメントしていた、「もし俺が松井のように敬遠されたら他のメンバーが打って勝っている」打てなかった星稜のメンバーにとってなんと残酷な言葉か。試合後、松井が他の選手にこう言ったそうだ「ゴメンな」。敬遠された松井は悪くない、でも松井はこう思ったはずだ、俺が敬遠されたことで他の選手にプレッシャーをかけてしまった、松井らしい。

聖域甲子園、盛り上がる裏に残酷な物語がいっぱいだ。そんなことマスコミは取り上げない、だからみんな表ズラで観戦する。優勝候補と期待されればされる程、一瞬の結果が重くのしかかる、そしてその後の人生に大きく影響する。水面下で若者の心が砕け、さも何もなかったかのように時は流れる。ましてプレイヤーズ・ファーストなどどこ吹く風、やっぱり日本は根性物語。この一球で燃え尽きろ、なんて雰囲気、これに周りは熱狂する、いつか来た道だ。

驚いたことに食トレーニングというものがあるらしい。効率的な身体作りのためのメニュー、何でも2リットルの容器に敷き詰められたご飯、選手は薬を飲むのと同じと言っていた。車にハイオクを入れるのと一緒だ。車は機械だからドンドン食べる、でも人間は落ち込んだら食せない、でも食すノルマがある、無理して食べる、トイレで吐く、想像に難くない、餌か。人間一生を通して楽しく食べることは一番の活力源だ。食べるだけではない会話も大切。その大切さを教えるのが食育だ、まして学校は教育期間。そんな食の大切さを学ぶ時期に何が食トレーニングだ、時代錯誤も甚だしい、子供の心を大人がビジネス化している証拠だ。本来は勉強があって部活動がある、スポーツで人間性を育む、それを糧に生きていく、それが高校時代だ。

つづく

2018.8.26

浦和

もうひとつの高校野球1

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何かがおかしい、若者を取り巻くスポーツ環境だ。記念すべき100回目を迎えた高校野球大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた。高校野球は感動を呼ぶ夏の風物詩、終戦記念日の黙祷も毎年目にするところだ。一方でマスコミの報道はエスカレートし、甲子園が聖域化され、球児にはプロの登竜門。若者は東大に入るが如く頂点を目指し、スーパースターを夢見る。家族はのめり込み、学校は必勝を監督に託す。監督は成績如何で進退にも影響するので勝つために算段し手段を選ばなくなる。さらにトーナメント、サドンデスの制度が拍車をかける、一発勝負だ。予選から万が一を考え、優秀な投手が必然と連投する。結果想像絶する投球数、肘に違和感、靭帯損傷、今後の野球人生に重大な影響を及ぼす。仮にプロに進んでもその負荷は地雷と隣り合わせだ、徐々に身体を蝕んで行く。当たり前だ、人間はサイボーグじゃない。結果野球で生きて行くはずがあまりに早い第二の人生へ。何が悪い、決まってる大人の責任だ、こんなことが書いてある本に出会った。「甲子園の病」氏原英明著、新潮新書から最近出た。

著者は言う。日本にはプレイヤーズ・ファーストがない。今年からタイブーク制度が導入されたが、これにしても延長引き分け再試合の増加という運営上の問題として捉えている。球児の健康面の配慮を第一義としての決定ではない、将来ある若者をいかにして育てていくか本来の大人の役割を果たしていない。常軌を逸した投球数、史上何番のホームラン本数、マスコミ受けする話題ばかりが取り上げられ、見るものを熱狂させる。本来の健康的、教育的観点を蔑ろにする勝利至上主義、「壊れる投手、怒鳴る監督、酷暑の日程、考えない選手・・・このままでいいのか?」
つづく

2018.819
浦和

芥川賞

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年に二回、文藝春秋芥川賞受賞作が全文掲載される。毎回買って読むがその読後感、いつも期待はずれ、というより頭がついていかない。なので途中でやめてしまうこともしばしばだ。その度読解力の無さに落ち込むが今回の受賞作「送り火」は最後の一コマ手前まで引き込まれた、理由は描写力。

ストーリーは津軽地方の山間集落の中学校に父親の転勤で転校してきた歩という3年生が主人公。3年生12人の内、歩を含め6人の物語だ。集まれば燕雀という花札の勝負で負けを一人選び罰ゲームが始まる。その罰ゲームは、回転盤、角力、透明人間、彼岸様、そしてサーカスへ、悪質で危険、生死にかかわるものに徐々に暴力化する。そんな中、晃というリーダー格が燕雀でいつも胴元をやりイカサマをする。標的になったのが稔という少年だ、負けはいつも稔。伝統ある悪がきの儀式という大義名分に何故かみんな拘束される。

卒業間近、そんな罰ゲームを先輩格の卒業生が仕切きる場面、晃も歩も稔も従うしかない。ここでも稔が罰の対象となり、踏鋤という鋭利な農具を使ったゲームで血みどろにされる。さすがにこのままでは殺されると稔は逆ギレし、持っていた刃物で反撃に出る。初めは仕切っている卒業生が一人犠牲になり、次の反撃の対象がいつも陥れられていた晃と思っていたところ歩本人に襲いかかり歩は何故自分なのかと手足に深傷を負いながら懸命に逃げる、そして意識を失う。朦朧としながらもふと気がつくと藁人形が三つ並べられ順番に火がつけられていた。それは藁人形ではなく人間か、というところでいきなり終わる。

青森のリアルな自然、思春期の仲間と暴力、転校生が仲間に溶け込んで行く過程、そんな情景を見事に描き出している。特に山、川、道祖神田圃、畦道、稲穂、農家の蔵、農具、祭り、光の陰り、木造校舎、田舎の自然と生活感が行間から滲み出す。作者が青森出身ということもあるが実体験がないと中々書けないし、読む側もそんな環境を経験しているかどうかで感じ方も変わる。他にも、集落一帯の景色、茅葺き屋根の老婆との触れ合い、蝉の幼虫から成虫へ、リアルな表現が際立っている。

でも冒頭で一コマ手前って書いたけど、最後に「つづく」としたほうがいいくらい突如として終わっている。もう少しオチというか納得感が欲しかった。でも文学、特に純文学ってこんなもんだろう。考えてわかるものではなく感じろということだ。そもそも作者が苦労して一言ひとこと言葉を選び、何かを表現しようと足掻いて作品化したものをたかだか一回読んでわかろうとすること自体おこがましい。特にオレみたいな読解力にハンデのある奴には尚更だ。感じられなければ感じられるまで何回も読む、これが大切、芸術一般にいえることだ。

それから感じ方も千差万別、なので書評を読んでいる方が面白いこともある。以前の石原慎太郎氏の書評は辛口で痛快だったが選考委員を引退した、残念だ。

もしこの小説にテーマがあるとすればなんだろう。「度胸試し、殺意なき殺意、自然と人間、視点によって様々だが閉鎖された環境で育った若者達のエネルギーが暴力って形で発散する、ってとこか。読後感、80パーセント!
おしまい

2018.8.20
神戸から東京へ向かう東海道線

 

ポピュリズムとシステム1

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スッキリした。ある国の大統領が就任して以来気になっていたポピュリズム。世界的に言葉が一人歩きしている感があるがこの本のおかげで理解できた。薬師院仁志という社会学者が著した「ポピュリズム」だ、新潮新書から出ている。民主主義を基本におき各国のポピュリズム政党やポピュリストを挙げその共通点からポピュリズムの定義化を試みている。民主主義の入門書といてもいい。忘れないためにいくつかのポイントを覚書しておきたい。

ポピュリズムの意味は様々だ。人民主義、大衆煽動主義、民衆主義。でも、何とか主義で理解しょうとするととてもややっこしい。ポピュリズムポピュリズムとして定義付けした方がしっくりくる。

ポピュリズムは選挙に当選することを自己目的化した一つの手法に過ぎない。時の政権から一票を勝ち取るために民衆の置かれた不満や不安を煽り、時にはデマを流し煽動する。そこに右や左、リベラルやソシアルはない。著者は言う「民衆の脳みそに働きかけるのではなく心情に働きかける。人々に不満を焚きつけると同時に自らを何か大きな構想を抱く改革者だと印象づける。他者を否定することによってしか自分を肯定することができない」。

キモは間接民主主義だ。我々人民は選挙で議員を選び政治を委ねる。なので議員は選ばれるに足る人格、知識、教養を持っていなければならない(本書は「エリート」と呼ぶ)。選挙でエリートを選ぶ側にも一定のそれは要求される。でも、人民は皆そうとは限らない。そこに間接民主主義の落とし穴がありポピュリストのつけ込む隙がうまれる。一部の大衆はポピュリストの発したエリートに対する一言、例えば「減税」に反応する。さらに著者は言う「利益誘導で減税といった政策を選挙に利用する政治姿勢である。民意を代弁する態度ではなく、民意を作り上げる行為だ。民意に沿うことで支持を伸ばすのではなく、宣伝や演出によって世論を都合よく操作し、民意の方を自分たちの主張に一致させるのである」。

いずれにしても、これから世の中を渡っていく上でポピュリズムの理解は必須だ。何処そこの大統領の一言でこれだけ世界経済が翻弄され株価が面白いように波打つ。市場主体であるはずがいつの間にやらデマゴーグ主体、そんなことも気づかず株価の増減に一喜一憂する。今日明日のルーチンも大事だけど、それがのっかっている社会というお椀はもっと大切だ。気がつかないうちに流される、どんぶらこ、どんぶらこ、と。

このポピュリズム、洗脳されやすいタイプがいる、システム1の人だ。以前のブログでも書いたが、人の思考、認知の仕方には二通りある。システム1は物事を即断的、直感的に判断しその根拠であるエビデンスの質にとらわれない、システム2は一度自分に立ち返りあらゆる観点から冷静に判断しようとする。そうハリネズミとキツネだ(ブログ「トンボのような大きな目のキツネ」)。いずれにしても、政治家やマスコミの主張は冷静に聞くことが重要だ、システム2の目で一票を。

おしまい

2018.8.16
初盆の儀式がやっと終わって
岡山